川島真彩の幸せの部屋

「幸せは全て自分の心から生まれる」 ~元JW(エホバの証人)2世からのメッセージ

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JWだった子ども時代のこと

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私の母親は熱心なJW(エホバの証人)でした。そして父親は迫害者でした。

子どもがたくさんいた我が家は、貧しい生活をしていました。
大会に母親と子ども達が行った時などには父は普段以上に怒り、自分の小遣いを増やせという要求をし、それが家計を圧迫していました。
いかに節約をするかが重要な課題で、粗大ごみの日にはごみ捨て場をあさったり、パン屋さんに行ってパンの耳を格安で買ったり、何件もスーパーを回って、見切り品の野菜や果物、パンを調達したりといった生活が続いていました。
また、シャンプー代の節約のために髪は短く切られ、シャンプーは2日に1回とされました。

ごくたまに家族旅行には行きましたが、ご飯を食べる予算もあまりなく、ある時には、ラーメン屋に向かう車中で母親は100円で買っておいたお菓子(内容量とカロリーが高いもの)を子どもたちに食べさせました。
事情を知らない父親は「ご飯前にお菓子を食べるな」と言い、母親は「昼食代を安く済ませようと思って…」と答え、気まずい空気が流れていました。

また、父親が同席していない食事の時には、洗剤の節約のために鍋から直接食べ物を食べるように強制され、兄弟間で鍋やタッパーを回して食べていました。

もちろん、塾や習い事など行けるわけもなく、学校の勉強は、広告の裏に自分で問題を作って解いていました。(これは脳のためにはいいらしいのですが…)
不憫に思った学校の先生が私にドリルを一冊プレゼントして下さいました。

そこまで節約してものみの塔に寄付をしてきたのに、その寄付が、統治体の私腹を肥やすために使われていたとは・・・。

それでも母親は今でも熱心な信者です。

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このサイトについて

元エホバの証人(JW)2世の川島と申します。10数年前に自然消滅しました。
現在は保育関係の仕事をしながら、病気も経験しつつも幸せに暮らしています。
どんな過去があっても、人は幸せになれる、ということを伝えていきたい、そして子どもたちの人権を踏みにじる行為を防ぐ力となりたいと思っています。
当サイトが、ものみの塔からの脱会と脱会後の助けになりましたら、また多くの方の心に灯をともすことができましたら幸いです。
また、JWについて一般の方々にも知っていただくきっかけになれたらと願い、JW以外の内容のブログも多く綴っております。

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