川島真彩の幸せの部屋

「幸せは全て自分の心から生まれる」 ~元JW(エホバの証人)2世からのメッセージ

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母がJWになってから始まった虐待

I.K.さん 20代男性

私の母は、私が幼稚園生だった時に、エホバの証人(以下JW)と、ものみの塔の書籍で研究するようになり、熱心な信者となりました。
そして、熱心なJWとなった母により、子どもである姉と私は、学校生活や普段の生活ががらりと変わることになりました。

2世であった方は同じような体験をされている方が多いと思うのですが、自分たちが体験したことをまとめてみます。

[学校編]

・校旗、国旗敬礼や、校歌、国歌斉唱をしないため、小学1年生の頃から先生に証言させられました。
そして毎回、クラスの人たちから「なぜ校歌を歌わないのか」と問い詰められていました。

・キャンプファイヤー、誕生日、クリスマス、テレビ、ゲーム、信者の子ども以外と遊ぶこと、騎馬戦、武道、部活を禁止されていました。

・週2,3回は奉仕(伝道活動)に参加させられました。長期休暇中はほぼ毎日です。
奉仕中にどうしても同学年の人に会ってしまうことが何度もあり、次の日に「あんな恰好して、何をしていたんだ?」と言われました。「変な宗教をやっているやつ」のレッテルを貼られバカにされていました。
放課後も誰とも遊ばず、奉仕と集会ばかりしていたため、今となっては小・中学校時代の友達がいません。

[家庭編]

・JWによって、母はムチをするのが正しいと教えられ、今では思い出したくないほどのムチをするようになりました。

・母に「悪い物を持っていないか」と定期的に机の中をチェックされていました。
それでも私は周りの友達と同様、どうしても当時流行っていた「ポケモン」がやりたくて、友達に何度も借りていました。しかしある日それが母に見つかってしまい、ゲーム機を顔面に投げつけられました。失明したら、どうするつもりだったのでしょうか…。そしてゲーム機を投げつけられた後、顔面を何度も殴られました。ちょうどその頃大会で「ポケモンは悪霊の影響がある」との話があったこともあり、怒りに火が付いたのだと思います。そして暴行を受けた後、ゲーム機を、雪の中歩いて返しに行かされました(その友人の家は、奉仕で入ったことがあったため知っていました)。

・小・中学校の頃、釣りが好きだったのですが、クラスメイトにも釣りが好きな子がいて、ワームやルアーなどを交換していました。もちろん、学校に関係ない物を持っていった私にも非があるのですが、発覚すると、母は「交換した友人の家が世の宗教に入っているかもしれないのに、その人と物を交換して悪霊の影響を受けたらどうする」「そもそも学校に持っていくのはルール違反だ」と、殴る、蹴るの暴行を加え、釣り具は全部捨てられました。大切にしていた釣竿も目の前で折られたことを、今でもはっきり覚えています。

・毎週、休日に「家庭研究」ということで小さな子ども向けのピンク色の本(題名は思い出せません)をやっていました。小学生の頭で答えを出すのは難しいことなのに、分からずにいると「何でそんなことも分からないんだ!普段きちんと集会で聞いたいたら分かるだろ!」と怒鳴られ、私は泣いていました。エスカレートして、鉛筆や、そのピンクの書籍を投げつけられたこともありました。
こうやって母が暴力的になったのは、当時集会や大会で盛んにムチが推奨されていた影響だと思います。

・うちの家庭でも音楽は「すべて世の影響を受けている」とのことで、ものみの塔の歌以外の全ての音楽が禁止でした。姉は、ミスチルのCDを借りただけで殴られていました。

・どんなに理不尽な内容でも、言うことを聞かないと暴力をふるわれ、暗い部屋に閉じ込められたり、雨が降っていても外に追い出されたりしていました。一度、包丁を出して脅されたことも有ります。

[集会編]

・病気以外の理由で休むことはまず許されませんでした。

・集会に行けば必ず注解をしなければなりませんでした。
講演後の兄弟への感想(お礼?)をきちんと言えないと、家に帰った後に怒られました。

・集会中にウトウトすると、容赦なくその場で叩かれました。

・集会や大会のために体育祭を休むことになり、クラスの人から嫌味を言われました。

・中学1年の時の話です。文化祭前日の夜に、連絡網が回ってきたらしいのですが、その時は夜の集会で留守、しかも集会後もずっとみんなでしゃべっていたため、帰宅したのは22時を過ぎてしまっていました。
連絡網の内容は「次の日の文化祭でやることの練習や個人の役割を決めるから1時間早く登校するように」というものだったようです。何も知らなかった私は、普段通りに登校してしまい、クラス中から白い目で見られ、役割も与えられずに終わりました。
自分の前の子(連絡網で電話してきた子)いわく、「お前んち何回電話しても出ないし、何やってるんだよ」と。自分の意思でやっているわけではない集会のせいで…と思うと、悲しいやら悔しいやらで、「ごめん、夕飯を食べに外に出ていたんだ」と言ってしまいました。そこで集会うんぬんを言えば更にバカにされると分かっていたので…。

以上、川島さんのホームページで公開していただいても構わない範囲の内容を書かせていただきましたが、これ以外にも辛い体験をしてきました。
どうかこれ以上、ものみの塔によって苦しむ子どもたちが出ないことを願っています。

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このサイトについて

元エホバの証人(JW)2世の川島と申します。10数年前に自然消滅しました。
現在は保育関係の仕事をしながら、病気も経験しつつも幸せに暮らしています。
どんな過去があっても、人は幸せになれる、ということを伝えていきたい、そして子どもたちの人権を踏みにじる行為を防ぐ力となりたいと思っています。
当サイトが、ものみの塔からの脱会と脱会後の助けになりましたら、また多くの方の心に灯をともすことができましたら幸いです。
また、JWについて一般の方々にも知っていただくきっかけになれたらと願い、JW以外の内容のブログも多く綴っております。

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