川島真彩の幸せの部屋

「幸せは全て自分の心から生まれる」 ~元JW(エホバの証人)2世からのメッセージ

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鞭と徹底した従順で心身が限界に…

るかさん 30代女性

私が2歳の頃に、母親がエホバの証人の訪問を受け、すぐに研究が始まりました。
そして、研究司会者よりすぐに子育てのアドバイスとして、組織の出している資料や周囲のエホバの証人の具体的な例を出して、懲らしめの鞭棒を用いるように伝えられ、母親はすぐにそれを実行しました。
そして、母親の友人になった女性信者から、「これが1番痛いから従順になるわよ。手で叩くと自分が痛いでしょ。これなら自分の手が痛くならないから。自分の子はこれでお尻から血が出る程叩いたこともあるわよ。」との言葉と共に、綺麗なリボンを掛けられた箱に、太い電気コード(工事で用いるようなケーブル、身近な物で言うと掃除機のコードのような太いもの)を輪にした手作りの鞭が、プレゼントされました。
その日から私たち子どもは、いつもそれで何十回とお尻を叩かれました。
理由は、ごく些細な事、集会で床に届かない足をぶらぶらさせていたとか、後ろを向いていたとか、奉仕中に嫌そうな素振りをしていたとか、研究中に兄弟同士で少しふざけたなどでした。
鞭は、非信者の父のいないところで行われました。

また、「世の人」と交わることになるという理由で幼稚園などには行かせてもらえず、春夏秋冬朝昼晩毎日、奉仕や研究、再訪問に連れて行かれ、その中でも徹底した従順が求められました。
母の自尊心を満たすため、研究生の家の子が、私の物を欲しいと言えば、迷うことなく譲らないと、その場で鞭で叩くと脅されていました。
週に一回の奉仕の休みの日には、母は個人研究に忙しく遊んでもらうことはありませんでした。ただその日だけはTVを見ることが許されこども向け番組を1人で見ていました。

学校に行くようになってからは、エホバの証人以外の友人の家に遊びに行くことは、3年生くらいまでは制限されていました。
また、学校では、選挙、クリスマス会、七夕などには参加しない事を証言するように言われていました。
また、エホバの証人だから良い証言になるようにとテストの点数も90点、100点でなければ認められませんでした。

たえず制限され、脅され、「いい子」でいないと愛されないという思いを抱えて育った私は、幼児期にはストレスからくる自家中毒でよく吐き、小学校高学年になると手足の震えや吐き気、嘔吐、悪夢に悩まされるようになりました。
それでもそうした苦しみは親にはひた隠しにし明るく振舞っていました。
その後、とうとう、心身の負担が限界を超え、中学生になると拒食症になりました。
それでも、「いい子」でいる生活はなかなかやめられませんでした。

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このサイトについて

元エホバの証人(JW)2世です。2000年に脱会することができました。
現在は保育関係の仕事をしながら、病気も経験しつつも心穏やかな日々を送っています。
どんな過去があっても人は幸せになれる、ということを伝えていきたい、そして子どもたちの人権を踏みにじる行為を防ぐ力となりたいと思っています。
当サイトが、ものみの塔からの脱会と脱会後の助けになりましたら幸いです。

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