
エホバの証人だった子ども時代のこと
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私の母親は熱心なエホバの証人でした。そして父親は「迫害者」でした。
子どもがたくさんいた我が家は、貧しい生活をしていました。
大会に母親と子ども達が行った時などには父は普段以上に怒り、自分の小遣いを増やせという要求をし、それが家計を圧迫していました。
いかに節約をするかが重要な課題で、粗大ごみの日にはごみ捨て場をあさったり、パン屋さんに行ってパンの耳を格安で買ったり、何件もスーパーを回って、見切り品の野菜や果物、パンを調達したりといった生活が続いていました。
また、シャンプー代の節約のために髪は短く切られ、シャンプーの使用も制限されました。
ごくたまに家族旅行には行きましたが、ご飯を食べる予算もあまりなく、ある時にはラーメン屋に向かう車中で、母は100円で買っておいたお菓子(内容量が多く、カロリーが高いもの)を子どもたちに食べさせました。
事情を知らない父は「ご飯前にお菓子を食べるな」と言い、母は「昼食代を安く済ませようと思って…」と答え、気まずい空気が流れていました。
また、父が同席していない食事の時には、洗剤の節約のために鍋から直接食べ物を食べるように強制され、兄弟間で鍋やタッパーを回して食べていました。
もちろん、塾や習い事など行けるわけもなく、学校の勉強は、広告の裏に自分で問題を作って解いていました。(これは脳のためにはいいらしいのですが…)
不憫に思った学校の先生が私にドリルを一冊プレゼントして下さいました。
そこまで節約してものみの塔に寄付をしてきたのに、その寄付が、統治体の私腹を肥やすために使われていたとは・・・。
それでも母は今でも熱心なエホバの証人です。
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