排斥されたことで父との絆を取り戻せました
美咲さん 女性
書くことが多くてまとまらないかもしれませんが、私が物心ついてから、排斥となるまで、排斥してからのことを書きたいと思います。
私は2世です。
両親、兄と弟がいて5人家族でしたが、父だけは未信者。母が最初に聖書研究を始めました。
母に連れられて、子供3人は毎週3回の集会と毎日の奉仕活動へ。
母が学び始めたのは、私が2歳頃だったそうで、それまでは行われてきた誕生日会やクリスマス、お正月などがなくなってしまったこと。
父の唯一の休日が日曜日だったのに、集会があったのでどこへも出かけられなくなってしまったこと。
いつもそのことや輸血の件で両親が喧嘩していたのでとても居心地が悪かったです。
私も他の2人の兄弟も、幼稚園・保育園に行かせてもらえず、毎日奉仕活動へ連れていかれました。
なので、小学校に上がった時、他の同級生との接し方が分からず戸惑ったことを今でもハッキリ覚えています。
全校生徒が当たり前のように歌っている校歌や国歌が歌えない。
誕生日おめでとうが言えない。
学級委員の選挙に参加出来ない。
いろんな壁が立ちふさがりました。
その中でも一番辛かったのは
『世の子供たちと遊んではいけない』
という母の言いつけでした。
放課後、『一緒に遊ぼう』と友達に声をかけてもらっても、いろんな理由を探して断り続けた結果、私を誘う人は誰もいなくなりました。
高学年になる頃には『あいつはおかしい』
と、いじめが始まり、不登校気味になりました。
中学校に上がってもあまり登校できず、成績は下がる一方。
でも集会に行けば、奉仕に行けば、誰かと話せる。
小学生で伝道者になり、バプテスマを受けた私は、会衆内でバプテスマを受けた最年少だったので、誰もが褒めてくれました。
『ほかの子供たちの模範となってね。
皆を引っ張ってあげてね』
大人達がこぞって褒めてくれました。
それだけが私の支え。
しかしその思いも打ち砕かれました。
今度は会衆内でいじめが始まりました。
仲の良かった人達からなぜか無視されました。
そして、私を見ながら笑って内緒話。
学校でのいじめでナイーブになった、10代の心を傷つけるには十分な内容でした。(続く)
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