川島真彩の幸せの部屋

「幸せは全て自分の心から生まれる」 ~元JW(エホバの証人)2世からのメッセージ

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父による「迫害」とJW母の子への「依存」

orientさん 30代女性

JWの教義が作り出す環境は、親が元々抱えた問題が重なり、もっと複雑化することがあります。
JWの組織は非常に閉鎖的な上、被害者の子供には事実を主張したり訴えたりする力がないため、表からはそうした問題がわかりづらいことがあります。

そうした親の問題について私の体験を述べます。

未信者の父による「迫害」

父には元々暴力的な性向があり、DVやモラルハラスメントともとれる行動が、結婚当初からあったそうです。

開拓者の母は私が小学校に上がる前から入信しており、父は猛烈な反対者でした。
父の「迫害」は私が小学校にあがる前に始まりました。
「迫害」とは、未信者が信者である身内などに、その信心をやめさせるために行う妨害行為、脅しのことです。
父が迫害していた当時、家族をカルトに取り上げられ、どんなに寂しく恐ろしい思いをしていたかは、私が20代も後半になり、上京が決まったころに初めて吐露され、知ることとなりました。

特に迫害が酷かったのは、私が小学1年生~6年生のころでした。
盲信的な母なので、当然周りがすすめても離婚はあり得ませんでした。
その後、成人するまで同じ家に住みながらも、父と会話できたことは殆どありません。

集会から帰ると、毎回家の中が滅茶苦茶に荒らされていました。
ビール瓶やコップなど、家にある限りのガラス製品がペンチで割られ、家中にばらまかれていました。
母と私たち子供は、自転車で8キロの道のりから帰宅した23時頃からガラスの片づけを始め、寒い部屋でびくびくしながら眠りについていたのを覚えています。
家に入れてすらもらえないこともあり、段ボール箱で寝たこともありました。

初めは母の服やJW関連の書籍が破られたりしていたのが、物がなくなってくると、私たち子供のおもちゃや本、服にまで被害が広がるようになり、しまいにはランドセルや教科書にまで及ぶようになりました。
当時大切にしていたレコードを、何も悪いことをしていないのに突然目の前で真っ二つに割られたことは本当にショックでした。
母が内職で縫製していた洋服のパーツが捨てられるようになったため、母は内職を失いました。
そして父からも生活費をほとんどを得られず、悲惨な生活が始まりました。

小3~5年頃は晩御飯が袋詰めのパンのみということが続きました。
屋根裏に隠しておいた1袋を母と子供2人の三人で分けて食べ、私たち子供は次の日の給食までいつも空腹でした。
私たちの生活スペースの二階は電気が使えないようにされており、台所のガス台も壊されていました。
明かりはろうそくでとり、料理はできない生活が続きました。(ただし天日風呂のシステムには救われました)

遊ぶ時も集会も、私と弟はいつも制服でした。勿論その頃はテレビを見たことがないので、当時流行っていた番組のことを今目にしても全く記憶がありません。
弟は読み書きを覚える重要な時期を、こうした虐待でつぶされたため、中学を出るまではひどい学習障害に悩まされることになりました。

母が私たち子供を家に残して地域の会合などに出かけなければならない時などは恐怖でした。父が子供に当てつけるように暴れ始めるため、子供二人で二階から飛び降り、家を脱出したことが何度もありました。

それでも母が怖がる私たちに言い聞かせるのは「お父さんは人間なのよ?人間より神を恐れなさい。信仰が足らないから「やめて」という力をエホバにもらえないのよ」という言葉でした。

本当に小学生が負うべき責任だったのでしょうか?
本当に小学生が信仰が足りないからと受けるべき仕打ちだったのでしょうか?
私たちは両親には精神的に守ってもらえないまま成人しました。
勿論JWの大人たちは誰も助けてくれませんでした。
なんにでも懐疑的で不安を持たずにはいられない大人になったと感じることがあります。

正規開拓者である母親の「依存」

母は非常に不安定な精神の持ち主で、元々はそれをJWの訪問者に相談してJWの教義に染まりました。

母は、私が小さな頃から理屈をつけてたくさんのことを制限しました。
今、特に記憶に残っていることをいくつか列挙します。
JWで通常禁止されていることについてはここでは割愛しています。

<小学生の頃>

  • 漫画に出てきた言葉の意味が分からず質問をすると、睨みつけて無視。
  • クラスメートからの電話で、要件以外の会話が漏れると即電話を切るように圧力をかけられ、
    内容をすべて話すよう強要される。
  • 修学旅行に行く前夜、突然不機嫌になり「明日の修学旅行出発は許さない」と言い始める。

<中学生の頃>

  • 中学にあがっても然るべき下着を買ってもらえず、学校では体育教師から毎
    週のように怒鳴られるも、直接家に学校から苦情が入るまで買い与えない。
  • 人のお下がりでもらった洋服を、うまい具合に組み合わせてコーディネートすると、
    「この世的」「はずかしい」「二度と同じ服装をするな」と、同じ服の組み合わせを禁止される。
  • 一週間ほどかけて描き上げた、アニメを題材にした空想画を持ってこいと言われ、
    その絵を数時間にわたって侮辱され、捨てさせられる。

<高校生の頃>

  • 料理の手伝いを始めると侮辱し食材に近づけさせない。灯油の買い出し・給油など台所の外に出させるような用事を言いつける。(子供が料理を覚えることを嫌がる)
  • 友達とピアノやアコースティックギターで弾き語って遊んでいると、楽譜を処分させられ弾き語りを禁止される。
  • 小遣いは禁止、親戚にいただいた小遣いは没収、他人にもらったものは返却しなければならない。
    買い物、読み物、行き先はすべて報告を強要。
  • 自動車学校など、同年代が集う場所へ今風な恰好をして行かせることを避けるため、私服は滅多に買い与えず、(女の私に)父のお下がりを与える。

母の不機嫌は理由がまったくわからず、タイミング悪くこちらに非があるような行動をしてしまうと、洗濯や食事の用意などをすべて放棄され、かつ洗濯機を使うことや自分で買い物をすることも一切許されず、生活ができませんでした。
また明け方まで聖書を使っての説教のため寝させてもらえないことも続き、学校生活にも影響しました。

JWの教義にこじつけられ、非常にわかりづらく私たちを縛っていましたが、JWと母の元を離れて10年以上経つ今では、どういうことだったのかよくわかります。
母は私たち子供に全く依存しきっており、子離れするのを怖がっていたのだと思います。
つまり私たちが独り立ちしないように、自立を遠ざけ、外部との人間関係やコネクションができないように無意識に操作していました。
さらに女性特有の精神的不調や、最近では社会問題としても取り上げられる、子供への理不尽な嫉妬というものも、JWの教義を隠れ蓑にして子供に向けられていたのではないかと思います。

JWの教義やルールの核である「世のものとならない」という考えにたまたまマッチしているため、非常にわかりづらく隠されていますが、子供を手放したくないJW母親が同じような作戦をもって子供を制限している例を、自分の身の回りやインターネットなどで見かけます。

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このサイトについて

元エホバの証人(JW)2世です。2000年に脱会することができました。
現在は保育関係の仕事をしながら、病気も経験しつつも心穏やかな日々を送っています。
どんな過去があっても人は幸せになれる、ということを伝えていきたい、そして子どもたちの人権を踏みにじる行為を防ぐ力となりたいと思っています。
当サイトが、ものみの塔からの脱会と脱会後の助けになりましたら幸いです。

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