プライバシーがなく制限された日々
てるてる坊主さん 30代女性
私が小学校低学年の頃に、母はJWと出会い、次第にものみの塔にのめり込むようになりました。
そして、子供たちにも聖書を学ばせようと、「偉大な教え手」から研究が始まりました。
司会者は母です。
もし、あの時の司会者が母ではなく他の姉妹だったらと思うとゾッとします。もし他の姉妹だったら、母よりもJW歴が長いので、幼い私はきっと上手く洗脳されてしまって今の私はなかったと思うからです。
私は研究が始まった当初から、ものみの塔の本や研究がすごく嫌でした。
そして、あらゆることを禁止される、「ダメダメ時代」に突入です。
月水金は習い事、火木は集会で、学校が終わった後に友達と遊ぶことは許されませんでした。
高学年になると知恵が付いてきて、そうだ習い事に行くふりをして遊びに行けばいいんだ!!と思いつき、小5の時に実行しました。
でもそれも、父の転勤で転校することになり、あっという間にできなくなってしまいました。
バプテスマも受けてドップリ組織に染まってしまっていた母が、転校先では一切の習い事をやめさせたからです。
私が隠れて遊びに行っていたことがバレていたんだと思います。
そして従姉妹からもらっていたマンガも、「ふさわしくない!」と、私が学校に行っている間に処分されてしまいました。机の中に隠していても、探し出されてすべて処分されました。
そうやってプライバシーもない生活が高校を卒業するまで続きます。
何を言ってもダメダメでしたので、友達と放課後におしゃべりをすることすら、ままならない毎日でした。
それで、学校で6時限目が自習の時には、課題を早く済ませてそのまま下校し、本来の下校時刻まで友達とおしゃべりをしたりしていました。
気の休まることがなく、いつも母に監視されているのではないだろうか?という気持ちから、いつの間にか私の性格はコソコソしたものになってしまいました。
その後遺症が今でもあり、ちょっと留守にしている間に母が部屋に入って詮索しているのではないか?という不安をいつも感じます。
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