ずっと死のうと思ってた – ものみの塔(エホバの証人)の2世信者として長く苦しんできたこと(第1回)
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このような仕打ちを受けていたことに加え、「人間はアダムからの罪を背負っているので、神の前では罪びとである。人間は生まれながらに不完全なので、神に認めてもらうには、相当な努力が必要」と教え込まれ「自分はひどい欠陥人間で無能である」という考え方にさせられるため、私は「自分は無価値な人間だ」「生まれて来なければ良かった」と思うようになりました。
信者の子どもたちには、そのような感情を抱くことすら許されていません。組織は、子どもを「懲らしめのムチ」で死なない程度に叩いて教育しなければならないと指導してきた一方で、出版物の中で「確かに、ほとんどの子供たちは最初、懲らしめを受けるといら立ちを覚えます。しかし、子供たちが懲らしめを受けておびえたり、見捨てられたと感じたり、自分は生まれつき悪い人間なのだと思い込んだりするようなことがあってはなりません。」と詭弁を用いて、子どもたちがそのような感情を抱いた場合には、親や子どもに問題があるのであって、組織に責任はないと言い逃れができる先手を打っているのです。
私はこれまで子どもの発達に関する勉強をしてきましたが、組織の指示に忠実に従った子育てをした場合、子どもがそのような感情を抱くのは当然の結果だと思います。
その頃は、母に対して「私が体力で勝つようになったら、復讐してやろう」と思って過ごしていました。
お金も時間も全て組織に差し出しての宗教活動ゆえ、非常に貧しい生活をしていた上に、組織からは「今あるもので満足しなさい」という指示が出され、エホバの証人間では些細な事が「物質主義」だと糾弾されていたため、私は買い物をするという行為に非常に罪悪感を持つようになりました。
スーパーで安い食料品を買うことは罪悪感を持たずにできたのですが、洋服を買うということが大人になってもなかなかできませんでした。子どもの頃の服は全てお下がりで新品の服は一度も買ってもらったことがなかったため直面しなかった問題なのですが、大きくなって自分のお金で買おうとしても、買い方もよく分からない上に「もしかしたらこれは物質主義だということになりエホバに滅ぼされるかも」という恐怖心が起き、安価な洋服を購入する際にも罪悪感を持ちながら買い物をするようになりました。
さらに、ものみの塔の出版物や講演では「エホバは○○といったことを憎まれるのです」と再三強調していてエホバは色々と憎む神だったので、私も他の信者たちと同様に憎しみの感情を強く植え付けられ、私自身も些細なことを非難したくなるようになってしまいました。
そのように、ものみの塔組織は信者たちに憎しみの感情を植え付ける一方、エホバの証人の外の世界には憎しみが溢れている、という教義も教え込んでいました。
しかし「だれに対しても,悪に悪を返してはなりません。」間もなく来る神の王国では「憎しみをその原因もろとも完全に除き去る」と教え、エホバがハルマゲドンで信者以外の人類を抹殺するまで待つように指示していました。(「」内の文章は教団の公式サイトより引用)
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