ずっと死のうと思ってた – ものみの塔(エホバの証人)の2世信者として長く苦しんできたこと(第1回)
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エホバの証人として活動していた日々
集会・大会への出席、奉仕活動(布教活動)は病気などよほどの事情がない限りは休むことは許されませんでした。母が入院していた時期も、子どもたちがきちんと宗教活動しているかどうか信者たちの監視下にありましたので、休むことはできませんでした。
家庭内では母がほぼ毎日、組織の出版物を用いて子どもたちに宗教教育を行なっていました。朝起きて学校に行く前に必ず「日々の聖句」という本を読まされ、「今日も一日、エホバのみ名に誉れをもたらす行動を取るように」という指示を受けていました。そして学校でも学友たちにエホバについて話すよう、「励まし」という名の圧力が加えられていました。
少しでも宗教活動を行うために部活動は一番活動時間の短いものにさせられ、放課後は布教活動をしなければなりませんでした。
私は、冷酷な教理を出すものみの塔に勧誘しなければいけないことに日々良心を痛めていました。ハルマゲドンで滅ぼされないよう、またムチ打ちを受けないよう、母や信者たちに連れられて礼儀正しくにこやかに家々を回っていましたが、心の奥底では「どうかこのお家の方が入信しませんように。ものみの塔の被害を受けませんように」と願っていました。
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