エホバの証人である母に輸血拒否されて殺されないために
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ものみの塔独自の教理の一つに「輸血拒否」があります。
1985年に起きた「大ちゃん事件」により、ものみの塔が信者に輸血を受けることを禁止していることは、一般の方々にも広く知れ渡ることとなりました。
私が、2013年に病院に救急車で運び込まれた時のことです。
すでに緊急の状況だったため、看護師さんに頼んで妹を呼び出してもらいました。当時身重だった妹は、息を切らしながら大変な思いをして病院に駆けつけてくれました。
私は「(エホバの証人である)お母さんに輸血を拒否されて殺されるから、お母さんには絶対に知らせないでほしい」と妹にお願いしました。妹は手術が無事に終わるまで内密にしていてくれました。
私はこれまで複数回大きな手術を受けましたが、手術が無事に終わるまで母に自分の入院及び手術を知らせたことはありません。
母に手術することが知られてしまうと、たとえ私が自分の意思を病院側に伝えても、熱心な信者である母によって「腕から注入器具を引き抜き,ベッドのわきにある血液バッグを処分(ものみの塔 1991年6月15日号 P.31)」される危険があるからです。
# 詳しくはこちらのページをご参照ください。ものみの塔は自らの雑誌で輸血を拒否して亡くなった若者たちを称えています。また、教団が言葉巧みに、輸血を受け入れることを、強姦されることを受け入れることと同じことであると信者たちに刷り込んでいる事実も確認できます。
仮に、母がそのような行動に出なかったとしても、私が輸血を承諾する紙にサインをすることに対して、私を非難したり、母自身が自責の念に駆られる状況になる可能性があるからです。
手術が終わり意識が戻った私に、看護師さんが今どこの病院にいるのかなどの状況説明をしてくださった後、母と対面しました。予想通り、すぐに母の口からは「輸血はしたの?」という言葉が出てきました。
今も、常時携帯している緊急連絡先に母の連絡先は書いていません。周りの方には緊急時には母には知らせないよう伝えてあります。周りの方や病院にもご迷惑をおかけしますので。
もし、私が先に旅立つ場合は、私の死に目に母が立ち会う可能性は非常に低いといえます。
ものみの塔が輸血を解禁するか、もしくは母がものみの塔を脱会するかのどちらかが実現するまでは、この状況は続くことでしょう。
# なお、これまでの協会の見解の変更の歴史を見る限り、輸血拒否のポリシーそのものが間違いであったとして訂正されることは十分あり得るようです。
参考:輸血拒否 – 変更される教理 | エホバの証人研究
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