川島真彩の幸せの部屋

「幸せは全て自分の心から生まれる」 ~元JW(エホバの証人)2世からのメッセージ

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ずっと死のうと思ってた – ものみの塔(エホバの証人)の2世信者として長く苦しんできたこと(第1回)

この記事は約6分3秒で読めます

布教活動が終わり帰宅すると、集会がある日は集会へ、ない日は自宅で組織の本を用いた宗教教育、というスケジュールです。
集会のある日には、集会で居眠りをしないよう、小学生になっても無理やり昼寝をさせられていました。
集会では、子どもにとっては訳が分からない退屈な話がされるのですが(その宗教教育の内容のほとんどは、大人になった今でも到底同意できるものではありませんが)、そのような話にも集中してノートを取りながら聞くことを強要されていました。

そして家庭での宗教教育にも絶対に異議を唱えたり、退屈そうにしたりしてはいけませんでした。もしそのような態度を取るとムチ打ちに処せられました。
宗教教育をしている場面が「迫害者」(※)である父に見つかると大変なことになるので、宗教教育中は父の車のエンジン音が聞こえてくるか耳を澄ましており、聞こえて来たら数十秒以内で本を隠し、各自学校の教科書を開いたり、家事に取り掛かったりと、宗教教育をしていた痕跡を消してから父を出迎えていました。

このようにして毎日教義を刷り込まれていったため、子どもの頃はよく眠れず、眠ってもハルマゲドンや迫害の悪夢にたびたびうなされていました。時には突然母に起こされ「今からこの聖句を覚えなさい。覚えるまで眠ることは許しません」と意味不明の命令を受けることもあり、そのような命令にも絶対に服従しなければいけませんでした。

放課後や休日に信者ではない子どもたちと遊ぶことは良しとされておらず、私の周りでは信者ではない子どもたちとの学校外での交友を禁止している家庭が多かったのですが、私の家の場合は父がいる休日のみ黙認されていました。

※ここで迫害者という言葉が出てきますが、妻がエホバに入信し子どもに宗教活動をさせるのに反対する夫のことを組織はこう呼ばせます。組織は家族である夫・父親を「悪魔サタンに影響されている」ために「迫害」しているとして家庭内の父親としての地位を貶め、母親・子ども達を組織に隷属させるのです。
当初、普通に父のことを「迫害者」と記載していましたが、投稿内容を何回も確認するうちに、いまだに自然と父を「迫害者」と呼んでいる自分に気づきました。脱会して17年経ってもまだ洗脳が解けきってないことに驚き、洗脳の怖さを思い知りました。

次回に続きます。→ ずっと死のうと思ってた – ものみの塔(エホバの証人)の2世信者として長く苦しんできたこと(第2回)

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このサイトについて

元エホバの証人(JW)2世です。2000年に脱会することができました。
現在は保育関係の仕事をしながら、病気も経験しつつも心穏やかな日々を送っています。
どんな過去があっても人は幸せになれる、ということを伝えていきたい、そして子どもたちの人権を踏みにじる行為を防ぐ力となりたいと思っています。
当サイトが、ものみの塔からの脱会と脱会後の助けになりましたら幸いです。

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