なぜ私はものみの塔を脱会するのに約10年を要したのか
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先日発売された『よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話』の単行本を、非常に共感しながら読みました。
私は現在も心身の調子があまり良くないため、周りの人からは「しばらく宗教について考えないように」と言われていますが、このマンガを読んで頭の中が子ども時代の回想モードに入ってしまったため、記憶と気持ちを整理するためにも、なぜ自分はものみの塔脱会に約10年を要したのかについての記事を書くことにします。
(またしても落ちるのか、それともすっきりするのか分かりませんが…。どちらに転んでも、エホバの証人2世のリアルな日常をマンガで描いてくださった、いしい さやさんには感謝の気持ちしかありません)
脱会を難しくした要因その1…洗脳の開始時期が早く、洗脳時間が長かったこと
私が生まれたとき、残念ながらすでに母はものみの塔に入信していました。
教団は信者たちに、「家で座るときも,道を歩くときも,寝るときも,起きるときも」ものみの塔の教理を子どもたちに教え込まなければいけないと指示していたため、母は、毎日のように子どもたちに教理を刷り込んでいました。(エホバの証人たちはものみの塔のことを「教団」とは呼びませんが、当サイトでは一般的に使用されている「教団」という言葉を使用します)
集会や、自宅での「家庭聖書研究」、「家族研究」の時間は当然エホバを称える宗教教育が行われていましたが、それ以外の時間、例えば家事などをしている時間や車で移動する際の車内でも教団が作成したテープを流していました。
そのような刷り込みが功を奏し、私は間もなくハルマゲドンが来て、エホバの証人以外の人類は抹殺されるという教理を信じてしまっていました。
脱会を難しくした要因その2…教団の教えに良い教えも含まれていると感じていたため
ものみの塔の偽善について気が付いたのは何歳の頃か、はっきりとは覚えていませんが、子どもの頃から違和感を持ち始め、教団から離れたいと思い始めました。
たとえば、エホバは「平和の神」であると謳われていましたが、気に食わないことがあるとすぐに人を殺すエホバは、幼心にも、とても平和の神だとは思えませんでした。
さらに、教団の教えに従えば幸せな家庭生活を送れる、とされていましたが、実際には母親が信者になってから父親や親せきと不和になり、家を追い出されて極貧生活を強いられ、その子どもも精神科に通っているという家庭や、妻が信者になったがゆえに離婚した家庭、信者になってくれず宗教活動に反対する夫のことを「悪魔サタンに支配されている」と言ってのける妻である信者(周りの信者たちも同意見でした)を目の当たりにしていたため、「どうしてエホバの証人になると、こんなに多くの家庭や人の心が崩壊していくのだろう」と疑問に思っていました。
一番心を痛めていたのは、集会や大会中にぐずったり声を出したり、親の気に食わない行動を取った子どもたちが鞭打ちを受けていたことです。
赤ちゃんや子どもたちが痛みと恐怖で泣き叫ぶ声を聞きながら、「こんなわけの分からない退屈な話が延々とされる中、こんなに小さな子どもたちがじっと座って話を聞くなど当然無理なのに、どうしてあんなにひどい仕打ちができるのだろうか。これこそが悪魔の仕業ではないか。どんなに立派なことを言っていたとしても、こんなに子どもたちを苦しめる宗教は、正しい宗教ではないのではないか」と感じていました。
さらに「嘘をついてはならない」と指示されていたのに、布教活動中に、家の人に「うちは宗教は結構です」と断られた場合には、「宗教の勧誘ではありません」と答えるように指導されていたので、「どう考えても宗教の勧誘なのに、どうして嘘をつくように指導するのだろう?」と疑問に感じていました。(この指導内容は、私が育った地域限定のローカルルールなのかどうかは分かりません)
それでも、教団の教えにも「愛を示しましょう」のような良い内容のものもあったため、私はずっと悩んでいました。
そういった類の話は、他の宗教でもなされているということは後に知ることになるのですが…。
教団はやたらと「愛」について強調していた記憶がありますが、結局のところ、その「愛」は条件付きの、非常に限定的な愛でした。私は幼い頃から、自分の良心の痛みに耐えながら、複雑な心境で信者生活を送っていました。教義の矛盾にも気が付いていましたが、良心の痛みを柔らげるために、できるだけ教義については考えないようにして生きていました。
教団に対して不信感を抱き、脱会を願いながらも約10年も組織から離れることができなかったのは、長い間ものみの塔の実態を調べることをしなかったことも一因でした。私が初めてものみの塔組織について調べたのは、脱会してから13年が経過した、2013年のことでした。もしもっと早く調べていたら、確固たる信念を持ってもっと早く脱会することができ、心の傷も現状よりはましだったのだろうと思うと、自分のあまりの行動の遅さが悔やまれます。
脱会を難しくさせた要因その3…母を悲しませたくなかったから
私が脱会するのに時間がかかった一番の理由は、自分の人生すべてをかけてものみの塔を信仰している母を悲しませたくなかったからだと思います。私がものみの塔を脱会する=私はハルマゲドンで滅ぼされ、母や他の信者たちと一緒に楽園で永遠に生きることはできなくなる、ということになるので、私が脱会を希望していることを知った母の苦悩はいかばかりであろう、もしかしたら倒れてしまうかもしれない、という不安があり、なかなか脱会の意思を伝えることはできませんでした。
もし常に鬼のような母だったら、簡単に見捨てることもできたのかもしれませんが、私の母の本来の姿は、心優しい女性です。
貧しい生活の中、病弱な母が、自分のことよりも子どものほうを優先してくれたり守ろうとしてくれたりする姿を見ていると、「私がしっかりしなければいけない、母を安心させるためにも、信者生活を続けなければいけない」と感じていました。
私は自分の心の声を無視し、自分の良心に反して信者生活を送っていました。
脱会を難しくさせた要因その4…相談できる人はいなく、逃げ場もなかったから
私が子どもの頃、母親が熱心なエホバの証人だった場合、子どもが自力で脱会するのは現実的に不可能でした。
今はインターネットも普及していて、子どもたちもネットで調べ物をしたりするのもできるようになりましたが、私が子どもだった頃は自分の携帯電話やスマホなどはもちろんなく、パソコンの使い方も知らなかったため、ものみの塔について調べたり、助けを求めるのは非常に難しかったです。
もし父親が子どもの意見を聞いてくれる人だったら、きっと父親に相談して脱会の手助けをしてもらえていたのかもしれませんが、私の場合は父は「迫害者」だったため、とても相談などできる関係ではありませんでした。
私は子どもの頃から自律神経失調症の症状で苦しんでいましたが、当時はそれがものみの塔が原因であるとは自分でも気が付いていませんでした。
ただ、よく眠れない、という症状については、ある新聞の読者のコーナーに投書したことがあり、その投書を見たある女性が私を心配して、新聞社を経て私宛てに温かいお手紙を送ってくださり、やはり『世の人』にも、こんなに素晴らしい方がいらっしゃるんだなあ、自分が「信者以外はサタンに支配されている」とする教理に違和感を感じている感覚は間違っていなかった、と思った記憶があります。
それでも、生まれた時から教団から「エホバの証人以外の人たちは悪魔サタンに支配されている」と刷り込まれていたので、脱会したいという気持ちを誰にも相談することができず、実の兄弟にさえも「もしかしたら密告されるかもしれない」という恐怖心から本音を言うことはできず(以前の記事でも書きましたが、一度だけ妹に本音を言ったところ、信仰心が足りないと言われてしまったため、本音は言わないことにしました)、一人で悩む日々を送っていました。
複雑な心境のまま、それでもやはり自分の良心に反するものみの塔の活動をすることが耐えられなくなり、母には脱会の意思をはっきりとは伝えずに、徐々に布教活動に参加しないようにしていき、集会の出席も減らしていき、2000年に教団との関りを完全に絶つことができました。
信仰や考え方、生き方を強要されて私のように苦しむ子どもたちがこれ以上増えないことを願っています。
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