川島真彩の幸せの部屋

「幸せは全て自分の心から生まれる」 ~元JW(エホバの証人)2世からのメッセージ

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友人に無償で仕事をし続けてきたことを反省中です

この記事は約6分3秒で読めます

自営業が無償で仕事を請けるということ

少し前にネットで、プロに無償で仕事を依頼することについて話題になりました。

私はこれまで数年間、ある友人の子どもを預かってきました。
保育の仕事を長年やっている私ですが、その友人のお子さんに関しては、1回にあたり長い時間の預かりでも無償で預かっていました。ところが、長期間に渡り預かっても交通費すらほとんど出してもらえない状況が続きモヤモヤが続いていました。
今年、別の友人から注意を受け、ようやく自分が間違ったことをしていたと気が付きました。自戒の意を込めて、これまでの経緯を振り返ってみます。

最初は私が「子どもを預かるよ」と言い出したことから始まりました

その友人と出会った当時、彼女は大変な事情を抱えており、私はとても可愛そうに思い、お子さんを預かることが少しでも助けになりそうだったので、「良かったら今度お子さんを預かるよ。私、保育の仕事をしているから子どもを預かるのは慣れているし大好きだから」と言い預かりました。

最初は彼女の自宅の近くで預かったのですが、お子さんを預かったことに大変喜んでくれたため、私も嬉しくなって「良ければまた預かるよ」と言い、やがて頻繁に預かるようになっていき、私の自宅でも預かるようになりました。

お子さんはとても可愛く(もちろん、これまで出会ったどの子どもたちもとっても可愛いです(*^^*))、成長するにつれてどんどんなついてくれるようになり、彼女からは「もう、第二のママだね!私たち、まるで実の姉妹みたいだね!これからも助け合って生きていこう!」と言われて、実際に私のことを助けてくれたこともあり親しくしていました。

やがてモヤモヤとした気持ちになってくる

最初の頃は、彼女がご自身がされているサービスを数回無償で提供してくれたり、割引で提供してくれたりしたのですが、お子さんを預かる回数が増えるにつれて、私がただ預かるだけというのが普通になっていきました。(数回お菓子や日用品をくれたこともありました)

彼女の家はうちからは少し遠いこともあり、一回預かるだけでも私にとってはかなりの負担となる交通費がかかってしまうのですが、「交通費を請求するのも悪いかな」と何も言い出せないままに年月が過ぎていきました。
正確にはこれまで数回、交通費としてお金をもらったことはありましたが、全て合計してもこれまでの交通費に対してまったく足りない金額でした。

彼女はいつも「本当にありがとう!!すっごく助かった!!」と満面の笑顔で感謝してくれていたため、私はそれが嬉しくて「また今度預かるね!」と自分から言い、彼女から依頼された時には快く引き受けていました。

私が何度も長時間(大抵7時間~11時間位、長い時は14時間以上)その子を預かっているのを知っていた周りの友人たちは「それは何か違うんじゃないの?」と注意してくれていましたが、私は「いいの、いいの!私が好きでやっているんだから!彼女はすごく素敵な人だし、子どももすっごく可愛いし!」と、聞く耳を持ちませんでした。

お子さんの好物を用意してから保育園にお迎えに行ったり、少し大きくなって、うちで預かる際に必要となった子ども用チェアも私が費用を出して購入していました。

しかし、彼女のお子さんを数年間お世話をするうちに、私は「お子さんはあんなに笑顔で楽しそうに遊んでくれて、彼女もすごく感謝してくれているんだけど、どうして交通費すら出してもらえないんだろう…。私の仕事には価値がないのかなあ…」と自尊心を失うようになっていきました。

そんなモヤモヤを抱えつつも、「でも、私のことを実の姉妹みたいと言ってくれているし、頭の回転が早くてなんでも器用にこなす彼女は、わたしにとってはあこがれの人だし…。助け合っていこうと言ってくれているから、お金の話は切り出しにくいし…。それに今まで無償でやってきたから、今さらお金を払ってほしいとは言えないし…」と言い出せない日々が続いていました。

またお子さんが本当に可愛くて、非常によく私になついてくれていたし私もその子が大好きだったことも、「これでお金を請求したら、まるで子どもを利用しているみたいかなぁ…」と悩んで、お金の話を切り出せなかった要因です。(今でもお子さんが夢に出てくる位、大好きです(*^^*))

彼女は次第に私にご自身のサービスは提供しなくなったとはいえ、私に役に立つと思われる情報を提供してくれたり、悩み相談に乗ったりしてくれていました。はきはきと話す彼女に、私はどんどん依存するようになっていきました。

彼女はご自分の仕事にプライドを持っていて、思ったことをどんどん発言するタイプだったこともあり、次第に彼女と私の会話は、上司と部下のような感じになることが多くなっていきました。このような関係を続けるうちに、私はどんどんみじめな気持ちになっていきました。

けれど、ずっとモヤモヤしている原因が自分でも分からず、「もっと子どもを預かれば、このモヤモヤした気持ちも晴れるかな…。彼女は本当に喜んでくれているし、お子さんもすごく楽しそうにしてくれているし」と、自分から進んで子どもを預かるのをやめることはしませんでした。

私のモヤモヤを感じたのか、彼女が「本当にやりたくてやっているの?」と言った時も、私は「もちろんそうだよ!」と答えてしまいました。

仕事として保育した場合の金額を計算してみて目が覚めました

私が自信をなくすようになり、また経済的に厳しいのに無理をして彼女の子どもを預かっているのを観察していた友人が「いくら友人だからと善意でやっていても、保育のプロとしては失格だよ。プロとして仕事をするにあたってこの記事を読んでみて。」と、いくつかのサイト(冒頭で提示しているサイトなど)を勧められました。

そこには下記のような内容が書かれていました。

  • プロは、友情とビジネスを混同しない
  • 仕事のプロなのに、友人だからとずっと安請け合いをしていると、安い人認定されてしまう
  • タダで依頼された場合は、時間を提供するので本来の仕事が出来ず、金銭的にはマイナスになる
  • 自分の中に「仕事を受ける基準」をあらかじめ作っておくと、いざという時迷ったり、振り回されないで済む

私がなかなか経済的に安定しない理由の一つがここにあったとようやく気が付きました。またこの数年、落ち込みやすくなっていた要因の一つもここにあったのだと感じています。

今回、これまで彼女のために費やした時間と交通費、仕事として引き受けていたならもらえていた金額を計算してみたところ100万円台となり、あまりの時間と金額に呆然となりました。

この金額で目が覚め「これからは無償でサービスを提供しない」と決意してからは急にモヤモヤが晴れていきました。これからは友人だからと安請け合いはせず、自分の気持ちと状況を考えた上で行動していこうと思います。

その友人にも、これからは無償でお子さんを預かるのはやめると伝えしました。私がどれほど彼女に尽くしたのかわかってもらうために、計算した金額も見てもらいました。
しかし、伝えなきゃということで頭がいっぱいになり、彼女が疲れているときに、彼女の状態も考えずに話してしまったせいか、彼女との縁はそこで切れてしまいました。

「エホバのために無償で働きなさい」という洗脳が生きていたのかもしれません

思い返せば、エホバの証人の子どもとして生まれてしまった時から、「自己犠牲の精神を持ちなさい」「エホバのために無償で働きなさい」と洗脳されていたので、信者を辞めてからもつい無償で働いてしまうくせが付いていたのだと思います。

教団の公式サイトを見てみたところ、「自分を死人の中から生き返ったものとして神に差し出し、また自分の肢体を義の武器として神に差し出しなさい」といった言葉が掲載されていたので、今でも信者たちにそのような考え方、生き方を指示し続けているようです。

十年以上前、アルバイト先で女性の先輩から、「あなたはお人好しの度が過ぎる。そんなんじゃ、この世の中で生きていけないよ」と言われた時、私は心の中で「え?ずっとこの性格で生きてきていますけど…」と思いました。しかし今回の経験で、もしかしたらこのままだと本当に生きていけなくなるかもと反省しました。

彼女との出会いは意味のあるものだった

彼女は、笑顔が素敵なキラキラとした魅力を持つ友人も多い女性です。社交的で仕事もできる人のため、周りからも高く評価されていて、彼女と一緒に仕事をしたいと申し出る人たちも多いのです。私もそんな彼女の助けになりたくて、子どもを預かり続けていました。
これまでのことをじっくり思い返してみても、彼女は決して私を利用しようとして近づいてきたわけではありません。

彼女の子どもを無償で預かり続けるうちに、私自身が自尊心を失うようになりネガティブな思考になっていき、彼女も私のことを思ってアドバイスをしてくれたりしましたが、なおさら私はお礼に子どもを預からなければ、と思い、悪循環が続いていました。

現在は彼女との縁は切れてしまいましたが、これまで助けてもらったことも多いので感謝しています。優しさと強さ、賢さを持った女性なのできっとこれから活躍されていく方だと思っていますし、彼女の活躍を応援したいと思っています。

また今回の経験から、どんなに親しくても無償でプロの仕事を提供してはいけない(もちろん例外もあるとは思います)と学んだので、意味のある出会いだったと思います。

この写真は、今も私の部屋にある、彼女のお子さんのために購入した椅子です。お子さんとももう会えなくなったけど、元気に成長してくれていることを願っています。

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このサイトについて

元エホバの証人(JW)2世です。2000年に脱会することができました。
現在は保育関係の仕事をしながら、病気も経験しつつも心穏やかな日々を送っています。
どんな過去があっても人は幸せになれる、ということを伝えていきたい、そして子どもたちの人権を踏みにじる行為を防ぐ力となりたいと思っています。
当サイトが、ものみの塔からの脱会と脱会後の助けになりましたら幸いです。

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