ずっと死のうと思ってた – ものみの塔(エホバの証人)の2世信者として長く苦しんできたこと(第2回)
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清水富美加さんの出家報道に際して思い返した自分のこれまでのこと
ある宗教の2世の信者さんである、女優の清水富美加さんが出家されたことが話題となっています。親が信者で生まれながらに信仰を強制させられた2世の清水富美加さんの、これまでとこれからの心情に、宗教は異なりますが同じ2世として思いを馳せています。テレビに映っている彼女は幸せそうですので、その幸せが続くよう祈っております。
この一連の報道に際して、この世に生を受けた時からエホバの証人(JW)2世として育てられた自分のこれまでを振り返ってみました。
長くなりましたので、何回かに分けて投稿致します。前回の記事に続き、第2回目の投稿です。
なお、これは私個人の体験談であり、同じエホバの証人の子どもとして育てられた方々でも、境遇やものみの塔の教理・指示に対する感じ方、入信中及び脱会後の考え方・生き方は様々ですので、あくまでも元JW2世の一例としてご覧いただけたらと思います。
外の世界の情報を得ること、自分の考えを持つこと、自由な行動は許されない日々
ものみの塔の教義に洗脳された母には、常に服従しなければなりませんでした。
集会以外にも、信者同士で集まる取り決めがなされたりした際には、私の意思など聞くこともなく、知らぬ間に勝手に申し込みをされて参加させられていました。
また、母と異なる意見を言うことは「口答えをした」とみなされるため、ものみの塔の教義通りの意見しか言うことは許されませんでした。
バプテスマを受けた男性信者を「兄弟」、女性信者を「姉妹」と呼ぶのですが、私は幼い頃「姉妹」という言葉は女性信者を指す以外にも使い方があることを知りませんでした。
ある時、父が買ってくれた本の中に「姉妹」という文字を見つけ、初めてエホバの証人が使用する以外にも姉妹という言葉が存在することを知り、母に「ここに姉妹って書いてあるけど、どういう意味?」と尋ねたところ、母はなぜか突然激怒したため、私は強いショックを受けました。
私は、聞いてはいけないことを聞いてしまったのだと思い、しばらく「姉妹」という言葉がトラウマとなりました。
少し大きくなってから自分で辞書で調べて言葉の意味を知ったのですが、「ものみの塔の情報以外、余計なことは知ってはいけないんだ」と心に刻み、その後は分からない言葉や疑問に思うことがあっても、誰にも聞かないことにしました。
幼い頃そのような極端な制限を受けていたせいか、少し大きくなってからは「外の世界を知りたい」と当時読むことを許可されていた新聞3紙(様々な面から社会情勢を見るようにとの父の意向で新聞は3紙購入していました)を毎日読むようになり、また、家族が寝静まった深夜にこっそりと父の所蔵していたビジネス書や歴史本を読むようになりました。
小学生だった自分には理解できない内容も多かったのですが、こうして少しずつ外の世界を知るようになっていきました。
特に、ものみの塔の重要な教理である「エホバの証人以外の人たちは悪魔サタンの影響下にある」とし、自分たちだけがハルマゲドンで助かるとする選民思想には良心を痛めていましたが、教理を刷り込まれない日はなかったので、子どもの頃は信じてしまっておりました。そして間もなく始まるとされているエホバの証人に対する迫害とハルマゲドンの恐怖に怯えていました。
なお、ものみの塔の出版物ではしばしば「決して恐れてはなりません」と書かれていて、信者たちは迫害に対して恐怖心を抱くことさえも実質禁止されており、恐怖心を抱くということは信仰が足りないせいである、と思い込まされていました。
集会や大会中にぐずった赤ちゃんや、親の気に障る行動を取った幼児、学童たちはトイレやムチ専用の部屋に連れて行かれ、容赦ないムチ打ちを受けていました。私は、集会・大会中に、これから執行されるムチ打ちの恐怖で泣き叫ぶ子どもたちが親に口を塞がれて会場の外に連れて行かれる光景を見ることが精神的に耐えられなくなり、ある地域大会の時には廊下に出て、柱と柱の間でうずくまっていました。(すぐに信者に見つかってしまい、会場に戻されました)
自分の心さえ守ることができなかった私は、自分より幼い他の子どもたちや年の離れた幼い妹が虐待を受けるのを見ていても助けることができず、通報するということを思いつくこともなく、無力な自分を責めていました。
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