エホバの証人の子どもたちが学校で直面する恐怖「いじめ」(第2回)
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大好きな先生の誕生会開催に反対せねばならなかった
私の場合は、幸い理解のある先生方ばかりで、先生に「証言」する際には大きな困難はなかったのですが、やはり宗教ゆえに行事に参加することができないのはとてもつらいことでした。行事があるたびに憂鬱でした。
先生がその場にいれば、先生に「証言」をして許可をもらい、学友たちと目を合わせないよう時計や地面を眺めながら時間が過ぎるのを待つだけで良かったので耐えられるレベルでしたが、その場に先生がいないとなると話は別です。
サプライズお誕生日会への反対
小学校3年生の時の、ある日の午後の出来事をよく覚えています。
「学級会」の時間に、あるクラスメートが担任のA先生にお願いをしてA先生に教室を出ていっていただきました。
そして教室内にいるのは子どもたちだけになったところで「サプライズで来週A先生のお誕生日会をしよう!」という議題が出され、A先生のお誕生日会を開催するかしないか、挙手で多数決が取られることになりました。
A先生はとても素敵な先生で私も大好きだったため、私も「A先生にぜひ楽しい時間を過ごしていただきたい」と思い、自分が参加できないことは分かっていてもお誕生日会開催に「賛成」のほうに挙手したいと思いました。しかし、そうしてしまうと私が「賛成」に挙手をした、という情報が母の耳に入りムチ打ちを受けるかもしれないし、エホバに滅ぼされるかもしれない、という恐怖で「反対」に挙手せざるを得ませんでした。(その時の私には「挙手しない」という選択肢を思いつくことができませんでした)
多数決の結果は、私を除く女子全員が賛成、そして私と男子全員が反対で、人数が同数となりました。
その時の教室内の全女子の私に対する突き刺さるような目線…普段は仲の良い関係であるだけに、本当に恐ろしかったのです。
多数決の結果が同数だったため、男子と女子の各代表者によるじゃんけんで決めることになりました。
このじゃんけんの最中には、私は心の中で「どうか、女子が勝ちますように…」と必死で祈っていました。(誰に祈っていたのかは分かりませんが)
このわずか数十分の学級会がどれほど長く感じ、恐ろしかったのか…文字通り、恐怖で眼の前が真っ暗となり何も見えなくなるのです。身体が崖から突き落とされたかのように、下に落ちていく感覚が襲い、普通に座っていることさえ困難でした。
結局、じゃんけんで女子が勝ち無事に開催が決定。私は安堵しましたが心臓はまだバクバクとしていました。
学級会が終わると、リーダー格の体格の良い女子を含む女子数名がツカツカと私に近づいてきて、「さっき、あんたなんで「反対」に手を挙げたのよ!あんたのせいで誕生日会、できなくなるところだったじゃん!!」と。幸いいじめには発展せず、ただ詰問されただけでしたが、本当に恐ろしかったです。
お誕生日会に反対せざるを得なかったことからの苦悩
それから私の苦悩が始まりました。「A先生に、私が『反対』に挙手したことが知られたらどうしよう…。いや、誕生日会に出席できないのだから、必ず知られるし、私だけお祝いすることができず、先生に悲しい思いをさせる」と…。
その後しばらくは、悪夢でうなされたり夜中に泣きながら目を覚ましたりしていました。とはいっても、普段はハルマゲドンの悪夢をよく見ていたので、その時期は「リーダー格の女子たちによる脅迫」と「A先生に悲しい思いをさせて申し訳ない。この場から逃げ出したい」という内容の悪夢に変わっただけですが…。
幼稚園時代から続く多くの行事を拒否した辛い記憶
このように、あらゆる行事を拒否しなければならない体験を私は幼稚園児の頃からさせられており、5歳の時に多くの行事を拒否しなければいけなかった辛い記憶が、当時の教室の様子も含めていまだに残っています。仲の良い友だちはいましたが、多くの行事に参加することができないために神経をすり減らしており、灰色の幼稚園生活でした。
加えて生まれたときから、ものみの塔の冷酷な教義を毎日刷り込まれ、幼少期から繰り返し叱責と体罰を受け、宗教上の亀裂ゆえに両親がたびたび喧嘩をしていました。あまりにも頻繁に激しい喧嘩が起こっていたので、近所の人がうちの玄関の前で聞き耳を立てていたくらいです。
そのためストレスは身体の不調(頭痛、腹痛、めまい、立ちくらみ、吐き気、不眠)となって現れており、それは私の記憶のある一番始めの部分、幼稚園時代から始まっていました。ですので、自分の記憶の限り、子ども時代に健康だったことはありません。
私の家族の話によると、乳児の頃から体調が悪かったそうです。母は私が胎内にいる時から部屋で組織のカセットテープを流すなどの「胎教」をしていたため、その影響もあるのかもしれません。
エホバの証人の子どもたちに対するいじめ
いじめを受けなかった私でも、上記のようなつらい体験をしましたが、いじめを受けた子どもたちは筆舌に尽くしがたいほどの苦悩を味わってきました。
エホバの証人の子どもたちは、多くの行事に参加することができず、加えて放課後は「神の業(宗教活動)を第一に!!」「悪魔サタンの支配下にあるこの世の子との交流は極力避けるように」とのことで一般の子どもたちとは最小限の接触しか許されない場合が多いため、いじめられる子どもたちが多数発生してきたのです。
「あいつは付き合いが悪い」「宗教に入っているんだ」と陰口を叩かれ、クラスメートたちからの冷たい視線を浴び、いじめへと発展していきました。
ものみの塔の教義では争いを非としているため、信者の子どもは、いじめている子たちに対抗することも許されません。
「エホバは争いごとを好みません。我慢しなさい」と親に叱られるのです。ものみの塔の教義ゆえに苦難を味わってきた子どもたちは数多くいます。
『カルトの子』に、信者の子どもが受けたいじめの体験談が掲載されていますので、一部ご紹介いたします。
もう鬱状態でしたよ。中学校時代は早く学校生活が終わらないかと思っていたほどでした、今でもはっきりと覚えていることがあります。中学2年のとき脳腫瘍を患っている子がいて、ぼくはその子と特別仲良くしていた。その子のお母さんにも感謝されたぐらい。ところが、その子が亡くなった。お母さんからぜひ葬儀に来てくれと言われた。でも、エホバの証人だから行くことができない。それで、クラスの仲間から、なんで葬儀に来なかったんだ、仲が良かったくせに冷たい奴だと、殴られた。悔しかったですね」(43歳、男性)
『カルトの子』米本和広著より
(いじめを受けて)傷ついた恵美には休息が必要だった。しかし、伝道訪問を休むことは許されなかった。苦しかったという。学校からの帰りが遅いと、母親は烈火のごとく怒った。小学校の高学年ともなると放課後にクラスの委員会がある。それを伝道訪問のため中座しなければならない。クラスメートはずるいと怒った。
委員会か伝道訪問か。どちらを選択しても賞賛はなく、ただ怒りが待っているだけ。典型的なダブルバインド(二重拘束)である。これほど辛いことはない。恵美は、より怖い母親の命令に従った。熱が38度あっても「1時間でもいいから参加しなさい。そうすれば治るから」とせっついたほど、母親にとって伝道訪問と集会は絶対だった。
恵美は家にも居たくない、学校にも行きたくないと思った。
小学校4年生になって不登校になった。一日中鬱状態が続き、どうしようもない倦怠感に襲われた。ところが、母親はほとんど関心を示さない。
「学校を休んでいるのに、伝道に行こうって誘うんですよ。私の不登校になんか関心がなく、この世を救うことのみといった風でした」と恵美は寂しげに笑った。
『カルトの子』米本和広著より
次回に続きます。→ 第3回
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