川島真彩の幸せの部屋

「幸せは全て自分の心から生まれる」 ~元JW(エホバの証人)2世からのメッセージ

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エホバの証人時代、忌避をしてしまったことを後悔しています

この記事は約4分39秒で読めます

以前、忌避の体験談のページにも書きましたが、私はエホバの証人だった子ども時代、教団の教えを守って忌避をしてしまいました。

当時は子どもだったとはいえ、周りの信者たちの同調圧力に負けて忌避をしてしまったことを、今でもとても後悔しています。
今回、なぜ私は子ども時代に忌避をしてしまったかについて振り返り、忌避に対して、今だったらどう対応するかについて考えてみました。

エホバの証人の忌避制度における「排斥」「断絶」「背教者」

エホバの証人の忌避制度について、先日放送された「 ザ!世界仰天ニュース」の「ある宗教2世の悩み」では触れられていませんでした。主人公の、いしいさやさんは忌避行為を受けていないようですので触れなかったのだと思いますが…
しかし、エホバの証人問題を考える上で「忌避」は非常に重要かつ問題のある制度だと思います。

忌避問題についての過去の記事

信者たちが集まる集会で「○○さんはエホバの証人ではなくなりました」という発表のあった瞬間から、信者たち全員で徹底的にその人を無視、村八分にするという忌避制度を取っているエホバの証人の組織ですが、教団から離れた人全員が忌避されるわけではありません。

バプテスマ(洗礼)を受ける前に教団から離れた人は、忌避の対象外です。バプテスマを受けてしまった信者でも、徐々に集会や奉仕(布教活動)への参加を減らし、組織からフェードアウトしていく方法(「不活発になる」「自然消滅をする」という言い方をします)を取れば、忌避されずに済みます(教理が変更になる可能性はありますので、現時点での状況です)。

ただし、教団が定める「罪」を犯して除籍処分(「排斥」と言います)になった場合と、自分から「やめる」と宣言して「断絶」をした場合は忌避されます。また、私のように教団に楯突くようなことをしていると「背教者」として忌避されます。

教団は、自分たちにとって不都合な情報が信者たちの耳に入らないようにするため、このように組織に対しての疑問を口に出してしまった人や組織の邪魔になりそうな人を排除する手段として、「援助する」「霊的健康を回復させる」ために積極的に近づき洗脳を強めようとしたり、それが無理そうな場合はそうした人を村八分にしています。

忌避の現在

「最近の教理はどうなのかな」と思って教団の公式サイトを見てみたところ、以下のような文が掲載されていました。

悪行を悔い改めない人を会衆から排斥する必要がある場合,「[その人の名前]さんは,エホバの証人ではなくなりました」という短い発表がなされます。説明を加える必要はありません。会衆の忠実な成員たちはそれによって注意を喚起され,その人との交わりを絶つでしょう。

(教団の公式サイトの「会衆の平和と清さを保つ」より引用)

このように命令口調ではなく、まるで信者たちが自主的に交流を絶っているかのような書き方をしています。組織は指示は出していないと言い逃れができる、教団お得意の責任回避の文章パターンがここでも見られました。

昨今、ものみの塔からの脱会者が増えている現状を考えると、忌避という幼稚な集団いじめ行為を信者たちに強制して情報統制をしないと、教団の存在がますます脅かされるという危機感から行っているのでしょうが、このような措置は決して許されない人権問題だと思います。

現役の信者さんのブログを見てみたところ、現在も「親子でも本当の兄弟姉妹であっても、葬儀や結婚式には勿論主席できないし知らせもしない。親に介護が必要でも、世話をする事もされる事も出来ない。災害の安否確認、援助もダメ。とにかく、親子であろうが、友であろうが、同僚であろうが、徹底的に忌避」という状況だそうです。

お互いに「兄弟」「姉妹」と呼び合っていた信者仲間をある日を境に徹底的に無視をするなどということは、自然の情愛を持った人ができることではないと思います。しかしとても悲しいことですが、実際にエホバの教えによって自然の情愛を奪われた「霊性の高い」(教団への忠実度の高い)信者たちが、良心の呵責を感じることなく忌避を行なっているため被害を受ける方々が後を絶ちません。

なお、地域や家庭によって、また教団への忠実度によって忌避の程度は様々で、教理上は忌避の対象であっても、ある程度信者家族と交流をすることができている方もいらっしゃるようです。

参考資料:エホバの証人の排斥システム

エホバの証人だった子ども時代、なぜ私は忌避をしてしまったのか

エホバの証人だった子ども時代、なぜ私は忌避をしてしまったのか、振り返ってみました。

ある日の集会での発表以降、周りの信者たちが一斉に被害者家族を忌避し始めた際、私はエホバの組織に対して、またこのシステムに対して疑念を抱いていたにも関わらず、周りの信者たちと同様に忌避をしてしまいました。他の信者が見ていない時に、被害者家族に話しかけることすらしませんでした。「もし私がこのご家族に話しかけているところを他の信者に見られたら、母や組織の上層部に密告されるかもしれない」という恐怖があったからです。

信者たちから徹底的に無視をされていたそのご家族のその後の消息は分かりませんが、どうか精神疾患を発症したり自死をしたりせずに生きながらえていらっしゃることをただ望むことしかできません。集団いじめ行為に加担してしまい、そのご家族に対して本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

当時の私は「これは人として絶対にやってはいけないことだよなあ…」と思いながらも、「もし私だけがこの教理を破って、このご家族に話しかけたりしたら、今度は私が忌避をされるかもしれない」という恐怖心から、組織に逆らうことはできませんでした。これはいじめと同じ構造だと思います。「みんなと一緒になっていじめないと、今度は自分がいじめのターゲットになってしまう」という恐怖心です。

その上、ハルマゲドンの恐怖を植え付けられていたので「この教えを破ったら、エホバに滅ぼされる」とも思ってしまい、この異常な教理を守っていました。

当時の私には、エホバの証人を辞めることはできなかった

当時の私には、エホバの証人を辞めることはできませんでした。
「そんなに教団が嫌いなら、さっさと信者を辞めれば良かったのに。そうすれば忌避だってしなくて済んだだろうに…」と思う方もいるかもしれません。しかし、自分で働いて生きていくことができない子どもにとって、エホバの証人を辞めることは不可能でした。なぜなら「私がエホバの証人を辞めたら、母に育児放棄をされる」という恐怖心があったからです。

実際、私が子どもの時、熱心なエホバの信者である母に対してあることで抗議をした時、母は荷物をまとめて、私以外の兄弟全員を連れて家を出て行きました。私が母たちを追いかけなかったので間もなく戻ってきましたが、「言うことをきかないと、見捨てるよ」という脅しとしては十分でした。

エホバの証人の教えは「組織には絶対服従」「信者の子どもは、信者の親に対して絶対服従。ただし非信者の親(やその他すべての非信者)は悪魔サタンに影響されているので悪い影響を受けないように注意するように」といったものなので、そうした教理が染み付いていた母は、子どもが自分に逆らうとどういう目に遭うのか「懲らしめ」ようとしたのだと思います。

生まれた時から信者の子どもとして育てられてきた私には、以下の過去記事に書いたように脱会が非常に難しい要因が他にもありました。


次の記事では、私が今も現役であったら忌避に対してどう対応するか、またうちに信者さんが勧誘に来た際、非信者としてどのように忌避について信者さんに尋ねるのか、脱会した今のできる対応について考えてみようと思います。

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このサイトについて

元エホバの証人(JW)2世です。2000年に脱会することができました。
現在は保育関係の仕事をしながら、病気も経験しつつも心穏やかな日々を送っています。
どんな過去があっても人は幸せになれる、ということを伝えていきたい、そして子どもたちの人権を踏みにじる行為を防ぐ力となりたいと思っています。
当サイトが、ものみの塔からの脱会と脱会後の助けになりましたら幸いです。

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