カテゴリー: 幸せになるコツ

  • すべては人を思う気持ちから始まっているー「全財産を使って外車買ったら、えらいことになった」を読んで思ったこと

    すべては人を思う気持ちから始まっているー「全財産を使って外車買ったら、えらいことになった」を読んで思ったこと

    先日友人に薦められて、岸田奈美さんの「全財産を使って外車買ったら、えらいことになった」という記事を読みました。

    タイトルからして、車好きの人が全財産を注ぎ込んで高級外車を買ったら幸せになりました、という話かなと思いましたが、全然違いました。

    下半身麻痺になり足がまったく動かなくなってしまった母親のために、亡くなった父親がこよなく愛したボルボを購入し、母親が運転できるように運転席を改造してもらった話だったのですが、これがまた良い話でジーンと来ました。

    記事の内容を簡単に説明しますと…

    奈美さんの父親、浩二さんが「いざという時も、クソ頑丈で、乗っている家族を守れる車を選んだ」と、こよなく愛していたボルボ。
    浩二さんは15年前に心筋梗塞で突然死してしまい、家族は金銭面の事情で仕方なくボルボを手放すことに。
    生きているだけで精一杯の日々が続く中、「それでも生きているうちに、一回は乗れたらいいな」と、ぼんやり思っていたそうです。

    車いすを使用している母親は、長いローンを組んでホンダの赤いフィットを手に入れ、フィットを改造して手だけで運転できる車にして10年間乗っていたのですがガタが来始めていたので、どうせなら一生に一度は乗りたい車に乗りたい、とボルボに想いを馳せていたところ、車いすでも運転できる唯一のボルボ、V40が生産中止になることを知って急いでボルボのお店に駆け込んだ岸田奈美さんとお母さんと、知的障害のある弟さん。
    手元には購入できるお金がない&ローンは組めないにも関わらず、奈美さんは間もなく入って来る予定の印税と貯金を合わせたらぎりぎり足りるということで、そのお店にあった最後の1台を購入することに。

    ところが、奈美さんのほぼ全財産を使って購入してはみたものの、お店で親身になって対応してくれた山内さんという方がボルボの運転席を障害のある人用に改造する工場を探してもなかなか見つかりませんでした。
    それでも山内さんは諦めずに自らボルボを運転して工場に直談判しに行き、改造してくれる工場を見つけることができました。

    唯一改造を引き受けてくれた「ニッシン自動車工業関西」の山本雅尋社長もまた、とても親身になって対応してくれる方だったのです。

     「改造って、大変じゃないですか?ボルボみたいに、車ごとにつくりも違うし」

    って聞いてみたら。

    「大変です。家に帰って、ご飯食べてるときも、お風呂に入ってるときも、ず〜っとどう改造したらいいかを考えています」

    「そんなに大変なのに、どうして引き受けてくださったんですか?」

    「ぼくも、父親の足が悪くてね。車に乗れるだけで、行動できる範囲もグッと広がるし、本人の楽しみも増えるじゃないですか。だから、こういう改造を引き受けてるんです」

    大切な人を思ってひねり出した新しい仕事が、また別の、大切なだれかを幸せにしているのだ。すべては、人を思う気持ちから、はじまっている。

    泣きそうになった。
    この人がいなければ、わたしたちは、一生ずっと、夢を叶えられないままだった。

    (「岸田奈美のnote」より引用)

    岸田さんファミリーのために親身になって奔走してくれた山内さんや山本社長や工場の方々はなんて温かい人たちなんだろうと思いました。

    私はこの記事を読むまで、車の運転席を手だけで運転できるように改造することができることすら知りませんでした。車椅子でドヤ顔で車を運転するお母様の映像が、なぜか中国やタイやミャンマーで話題になっているというように、人を思う気持ちが、どんどん技術を革新させ、人々に夢や感動を与えていっているんだと感じました。

    過去記事「豊かになること、技術が発展するということ」の中でも触れましたが、今後もさらなる技術の発展は必要なことだと思います。

    最近、人生は楽しむためにあると色々な本で読んだり聞いたりして納得していたのですが、改めてこういう生き方っていいなと思いました。是非、読んでみてください。

    また、この一連の流れを12月6日放送の「サンデーステーション(テレビ朝日)」で観れるようなので、ぜひ観てみようと思います。

    岸田奈美さんのご著書「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」も気になるので、読んでみようと思います。

  • 10月1日、東証システム障害が発生した際の宮原社長の姿勢に感銘を受けました

    10月1日、東証システム障害が発生した際の宮原社長の姿勢に感銘を受けました

    今年(2020年)10月1日に、東京証券取引所がシステム障害の影響で取引を終日取りやめました。
    また、名古屋、札幌、福岡の各証券取引所も停止しました。

    原因は「情報配信ゲートウエイ」による相場情報の配信処理と、「売買監視サーバー」による監視処理に異常が発生したためだそうです。

    東京証券取引所は同日の夕方に記者会見を開き、システム障害の影響で同日の取引が終日停止した問題について謝罪し、宮原幸一郎社長は「富士通と徹底した原因究明をし、その上で再発防止策を協議している。市場運営の責任の所在は私どもにあり、(富士通への)損害賠償は現時点で考えていない」と述べました。(参考:日経クロステックのサイト

    私は、システム障害が発生した原因を、システムを開発した富士通のせいにせず、責任を自分のところにあるとした宮原社長の姿勢に感銘を受けました。
    もし、責任を富士通側に押し付けていたら、現場のSEの方々は大変な責任を取らされることになり、大きな混乱が生じたと思うからです。
    システム障害が起きた際、SEの方々は復旧のために不眠不休で取り掛かり、その心労は計り知れないほどになることがあると、インターネット事業を行なっている方から話を聞いたことがあります。
    宮原社長の潔い謝罪を見たからこそ、現場の方々は何としてでもシステムを復旧させようと前向きに問題に取り組めたのだと思います。

    とてつもない規模の経済を回していて、大きな責任を負いながら仕事をこなしている東京証券取引所のトップの方の姿勢は、見習いたいと思いました。

    (以下、2020年11月30日追記)
    宮原社長は本日付けで引責辞任されるとの報道がありました。
    本当に最後まで責任を取った姿を見せてくれました。お疲れ様でした。

  • 脱会して今年で20年。未だに洗脳の影響で苦しんでいますが、夢に向かって進んでいます

    脱会して今年で20年。未だに洗脳の影響で苦しんでいますが、夢に向かって進んでいます

    今年でエホバの証人を辞めてから20年、エホバの証人の教えがおかしいことに気が付いてからは約30年が経過しました。

    最近は友人の勧めもあって、あちこち出かけてみたり、ユーチューブでAKB48や乃木坂46といったアイドルたちのダンスを見て「可愛いな~♡」と癒されたり、お笑いを観たり、これまで人のためばかりにお金や時間を使ってきたことを反省して、自分のために使うようにしたりして、かなり低空飛行から脱出してきました。

    それでも令和2年になっても、寝ている時には信者時代の記憶が蘇ってくることがあり、夢の中で迫害を受け拷問を受けて殺されるという場面が出てきて、心臓がバクバクしながら飛び起きたりしています。

    「自分たちだけが正しい。他の意見、考え方は間違っている」という教理もいまだに自分の言動に影響を及ぼすことがあり、最近も変な正義感から相手を攻撃してしまい、落ち込むこともありました。
    相手の方は非常に大人な方だったので、許してくれたので良かったのですが、まだまだエホバの証人の教理に支配されている自分にうんざりすることがあります。

    それでも、「自分の子ども時代のように、死なないように生きることが大変な子どもたちのための役に立ちたい」という思いはますます強くなり、温かい食事を必要としている子どもたちに、場合によっては無償で食事を提供することも可能な飲食店をやりたいという夢に向かって昨年から動き始めました。

    だれでも受講さえすれば取得できる「食品衛生責任者」の資格を取り、料理の練習をし、飲食店の会社で事務のアルバイトを始めました。

    料理はもともと好きですが、とにかくボーっとしているので、りんごを切っていただけで指先をほんの少しですが切り落としてしまったり、こんろに布巾がかかっていることに気が付かず火を付けてしまい、布巾を燃やしてしまったりと、事故が絶えません…(>_<)

    事務のアルバイトも、色々やらかしていて、会社の人の寿命を縮めている感じです。
    でも半年位経った今でもとりあえずクビにはならずに働かせていただいています。

    接客のほうも再びできるようになりたく、単発の仕事だったら何とかなりそうな気がしたので最近タイミーに登録しました。

    保育の仕事も続けていますが、年の離れた妹のお世話と保育の仕事を合わせて20年間位子どもたちを抱っこし続けた左腕は、昨年の秋頃から「胸郭出口症候群」になってしまい、あまり長時間抱っこをすることができなくなってしまいました。
    たまに右腕や脚もしびれるようになり、さらに最近は老眼も始まってしまい、色々とボロボロですが、たとえボロボロでも元気に働く私の姿を見てもらい、「あと一日だけ生きてみよう」と思っている子どもたちの生きる力になれたらと願っています。

    私は宗教問題を考え始めると落ち方がひどいため、これからは自分自身のためにも周りの人たちのためにも、宗教問題はあまり考えないようにしようと思っています。
    宗教に関係なく、今生きることが大変な子どもたちが、生きることをあきらめずに済むような温かい食堂、しかも利益を出しながら長く続けられる食堂をオープンさせる夢に向かってこれからも邁進していこうと思います。

  • 失敗なんて全然問題ない

    失敗なんて全然問題ない

    NBAのスーパースターであるステフィン・カリーというバスケットボール選手が、来日した際に子どもたちにバスケットボールを教えている動画が以前話題になりました。

    多くの人が見守る中、彼に教わる女の子が何度もシュートを外してしまい、恥ずかしさから急いで立ち去ろうとしたとき、カリーが女の子に声を掛けます。「入らないことは全然問題ない」「大事なのは入るまで打ち続けること」

    この言葉を胸に、女の子が再度シュートを打つと一発で入ります。困難を乗り越えた後の女の子の笑顔がとてもいいですね。


    この方のコメントを見て、自分自身を振り返りました。

    私は、失敗するとその失敗したことを必要以上に気にして落ち込み、「次のチャレンジでもまた失敗するんじゃないか」「どうせ失敗するだろう」「うまくいかないのにやり続けるなんて他人にバカにされてしまう」、とチャレンジ自体をやめることで、失敗で傷付くことを回避するような行動をとりがちでした。失敗する自分を守ろうと、殻に閉じこもっていたのです。

    でも、このコメントと女の子のチャレンジした後の笑顔を見て、自分の行動を変えていこうと決意しました。
    私の人生になんの責任も持たない他人の目を気にしていても自分の人生に何も残らない。失敗することは全然問題ない。成功するまでチャレンジし続けることでしか、未来を切り開けないのだなと改めて感じました。

    でも、まだまだ弱い自分ですので、いざとなったら失敗から逃げてしまうことも考えられますので、そのときは周りの方々のアドバイスを受けながらチャレンジを続けようと思います。周りの方々、こんな私ですが何卒よろしくお願いします。

     

  • 友人に無償で仕事をし続けてきたことを反省中です

    友人に無償で仕事をし続けてきたことを反省中です

    自営業が無償で仕事を請けるということ

    少し前にネットで、プロに無償で仕事を依頼することについて話題になりました。

    私はこれまで数年間、ある友人の子どもを預かってきました。
    保育の仕事を長年やっている私ですが、その友人のお子さんに関しては、1回にあたり長い時間の預かりでも無償で預かっていました。ところが、長期間に渡り預かっても交通費すらほとんど出してもらえない状況が続きモヤモヤが続いていました。
    今年、別の友人から注意を受け、ようやく自分が間違ったことをしていたと気が付きました。自戒の意を込めて、これまでの経緯を振り返ってみます。

    最初は私が「子どもを預かるよ」と言い出したことから始まりました

    その友人と出会った当時、彼女は大変な事情を抱えており、私はとても可愛そうに思い、お子さんを預かることが少しでも助けになりそうだったので、「良かったら今度お子さんを預かるよ。私、保育の仕事をしているから子どもを預かるのは慣れているし大好きだから」と言い預かりました。

    最初は彼女の自宅の近くで預かったのですが、お子さんを預かったことに大変喜んでくれたため、私も嬉しくなって「良ければまた預かるよ」と言い、やがて頻繁に預かるようになっていき、私の自宅でも預かるようになりました。

    お子さんはとても可愛く(もちろん、これまで出会ったどの子どもたちもとっても可愛いです(*^^*))、成長するにつれてどんどんなついてくれるようになり、彼女からは「もう、第二のママだね!私たち、まるで実の姉妹みたいだね!これからも助け合って生きていこう!」と言われて、実際に私のことを助けてくれたこともあり親しくしていました。

    やがてモヤモヤとした気持ちになってくる

    最初の頃は、彼女がご自身がされているサービスを数回無償で提供してくれたり、割引で提供してくれたりしたのですが、お子さんを預かる回数が増えるにつれて、私がただ預かるだけというのが普通になっていきました。(数回お菓子や日用品をくれたこともありました)

    彼女の家はうちからは少し遠いこともあり、一回預かるだけでも私にとってはかなりの負担となる交通費がかかってしまうのですが、「交通費を請求するのも悪いかな」と何も言い出せないままに年月が過ぎていきました。
    正確にはこれまで数回、交通費としてお金をもらったことはありましたが、全て合計してもこれまでの交通費に対してまったく足りない金額でした。

    彼女はいつも「本当にありがとう!!すっごく助かった!!」と満面の笑顔で感謝してくれていたため、私はそれが嬉しくて「また今度預かるね!」と自分から言い、彼女から依頼された時には快く引き受けていました。

    私が何度も長時間(大抵7時間~11時間位、長い時は14時間以上)その子を預かっているのを知っていた周りの友人たちは「それは何か違うんじゃないの?」と注意してくれていましたが、私は「いいの、いいの!私が好きでやっているんだから!彼女はすごく素敵な人だし、子どももすっごく可愛いし!」と、聞く耳を持ちませんでした。

    お子さんの好物を用意してから保育園にお迎えに行ったり、少し大きくなって、うちで預かる際に必要となった子ども用チェアも私が費用を出して購入していました。

    しかし、彼女のお子さんを数年間お世話をするうちに、私は「お子さんはあんなに笑顔で楽しそうに遊んでくれて、彼女もすごく感謝してくれているんだけど、どうして交通費すら出してもらえないんだろう…。私の仕事には価値がないのかなあ…」と自尊心を失うようになっていきました。

    そんなモヤモヤを抱えつつも、「でも、私のことを実の姉妹みたいと言ってくれているし、頭の回転が早くてなんでも器用にこなす彼女は、わたしにとってはあこがれの人だし…。助け合っていこうと言ってくれているから、お金の話は切り出しにくいし…。それに今まで無償でやってきたから、今さらお金を払ってほしいとは言えないし…」と言い出せない日々が続いていました。

    またお子さんが本当に可愛くて、非常によく私になついてくれていたし私もその子が大好きだったことも、「これでお金を請求したら、まるで子どもを利用しているみたいかなぁ…」と悩んで、お金の話を切り出せなかった要因です。(今でもお子さんが夢に出てくる位、大好きです(*^^*))

    彼女は次第に私にご自身のサービスは提供しなくなったとはいえ、私に役に立つと思われる情報を提供してくれたり、悩み相談に乗ったりしてくれていました。はきはきと話す彼女に、私はどんどん依存するようになっていきました。

    彼女はご自分の仕事にプライドを持っていて、思ったことをどんどん発言するタイプだったこともあり、次第に彼女と私の会話は、上司と部下のような感じになることが多くなっていきました。このような関係を続けるうちに、私はどんどんみじめな気持ちになっていきました。

    けれど、ずっとモヤモヤしている原因が自分でも分からず、「もっと子どもを預かれば、このモヤモヤした気持ちも晴れるかな…。彼女は本当に喜んでくれているし、お子さんもすごく楽しそうにしてくれているし」と、自分から進んで子どもを預かるのをやめることはしませんでした。

    私のモヤモヤを感じたのか、彼女が「本当にやりたくてやっているの?」と言った時も、私は「もちろんそうだよ!」と答えてしまいました。

    仕事として保育した場合の金額を計算してみて目が覚めました

    私が自信をなくすようになり、また経済的に厳しいのに無理をして彼女の子どもを預かっているのを観察していた友人が「いくら友人だからと善意でやっていても、保育のプロとしては失格だよ。プロとして仕事をするにあたってこの記事を読んでみて。」と、いくつかのサイト(冒頭で提示しているサイトなど)を勧められました。

    そこには下記のような内容が書かれていました。

    • プロは、友情とビジネスを混同しない
    • 仕事のプロなのに、友人だからとずっと安請け合いをしていると、安い人認定されてしまう
    • タダで依頼された場合は、時間を提供するので本来の仕事が出来ず、金銭的にはマイナスになる
    • 自分の中に「仕事を受ける基準」をあらかじめ作っておくと、いざという時迷ったり、振り回されないで済む

    私がなかなか経済的に安定しない理由の一つがここにあったとようやく気が付きました。またこの数年、落ち込みやすくなっていた要因の一つもここにあったのだと感じています。

    今回、これまで彼女のために費やした時間と交通費、仕事として引き受けていたならもらえていた金額を計算してみたところ100万円台となり、あまりの時間と金額に呆然となりました。

    この金額で目が覚め「これからは無償でサービスを提供しない」と決意してからは急にモヤモヤが晴れていきました。これからは友人だからと安請け合いはせず、自分の気持ちと状況を考えた上で行動していこうと思います。

    その友人にも、これからは無償でお子さんを預かるのはやめると伝えしました。私がどれほど彼女に尽くしたのかわかってもらうために、計算した金額も見てもらいました。
    しかし、伝えなきゃということで頭がいっぱいになり、彼女が疲れているときに、彼女の状態も考えずに話してしまったせいか、彼女との縁はそこで切れてしまいました。

    「エホバのために無償で働きなさい」という洗脳が生きていたのかもしれません

    思い返せば、エホバの証人の子どもとして生まれてしまった時から、「自己犠牲の精神を持ちなさい」「エホバのために無償で働きなさい」と洗脳されていたので、信者を辞めてからもつい無償で働いてしまうくせが付いていたのだと思います。

    教団の公式サイトを見てみたところ、「自分を死人の中から生き返ったものとして神に差し出し、また自分の肢体を義の武器として神に差し出しなさい」といった言葉が掲載されていたので、今でも信者たちにそのような考え方、生き方を指示し続けているようです。

    十年以上前、アルバイト先で女性の先輩から、「あなたはお人好しの度が過ぎる。そんなんじゃ、この世の中で生きていけないよ」と言われた時、私は心の中で「え?ずっとこの性格で生きてきていますけど…」と思いました。しかし今回の経験で、もしかしたらこのままだと本当に生きていけなくなるかもと反省しました。

    彼女との出会いは意味のあるものだった

    彼女は、笑顔が素敵なキラキラとした魅力を持つ友人も多い女性です。社交的で仕事もできる人のため、周りからも高く評価されていて、彼女と一緒に仕事をしたいと申し出る人たちも多いのです。私もそんな彼女の助けになりたくて、子どもを預かり続けていました。
    これまでのことをじっくり思い返してみても、彼女は決して私を利用しようとして近づいてきたわけではありません。

    彼女の子どもを無償で預かり続けるうちに、私自身が自尊心を失うようになりネガティブな思考になっていき、彼女も私のことを思ってアドバイスをしてくれたりしましたが、なおさら私はお礼に子どもを預からなければ、と思い、悪循環が続いていました。

    現在は彼女との縁は切れてしまいましたが、これまで助けてもらったことも多いので感謝しています。優しさと強さ、賢さを持った女性なのできっとこれから活躍されていく方だと思っていますし、彼女の活躍を応援したいと思っています。

    また今回の経験から、どんなに親しくても無償でプロの仕事を提供してはいけない(もちろん例外もあるとは思います)と学んだので、意味のある出会いだったと思います。

    この写真は、今も私の部屋にある、彼女のお子さんのために購入した椅子です。お子さんとももう会えなくなったけど、元気に成長してくれていることを願っています。

  • ハンデを持っていて大変なこと、嬉しかった言葉、生きるための対策

    ハンデを持っていて大変なこと、嬉しかった言葉、生きるための対策

    以前の記事に対するSAKURAさんのコメントへの返信で、これからは「発達障害」という言葉はできるだけ考えないようにしていく、と書き、今もその思いは変わらないのですが、私と同じような症状を持つ方や、そういった方に関わる方の参考になるかと思い、これまで私が経験してきたこと、自分なりの対策を羅列してみました。数か月前から書き始めていたこの記事を最後に、今後は発達障害についてはできるだけ考えないようにしていきたいと思います。

    とはいえ「発達障害」と一言で言っても、症状や程度は千差万別です。相貌失認や虐待のトラウマを併せ持つ私の場合の例として参考程度に読んでもらえたらと思います。

    大変なこと、嫌な思いをしたこと

    感情がなく冷たい人と思われることがあります

    ボーっとしていることが多く、以前、「クスリでもやってんの?」と、小学校時代の元クラスメイトに言われました。念のため書いておきますが、私は病院でモルヒネを投与されたことがある以外、薬物を摂取していません。

    さらに、考え事をしていると返事をすることができないことも多く、また勘違いや思い込みも激しいため意図せず傷付けるようなことをしてしまうのと、忘れっぽいこともあり、冷たい人間だと思われることがあります。「ミュージカルとかを観て、心を豊かにしたほうが良いよ」と言われこともあります。

    自分としては精いっぱい頑張っているつもりなのですが、感覚がずれているらしく、善意が裏目に出てしまうことがあります。

    変なところで気を遣ってしまいます

    昨年、心療内科の受診のためにクリニックに行った際、エレベーターの中で女性に「すみません、私、今日予約はしていないんですけど…。初めて受診するんですけど、このクリニックって、結構お金がかかりますか?」と聞かれ、私は心の中で「あー、このクリニックは予約制なんだけどなあ…。でもがんばってここまで来られたんだから、ぜひ受診していってほしいなあ。金額は私も分からないしなあ…」と思いました。

    できるだけ明るく「私も初めてなので詳しくは分からないですが、すごく高額ということはないと思いますよ。念のため受付で聞いてみてはいかがでしょうか?」というようなことを答えた気がしますが、別れた後で「さっきの方、無事に受診されたかなあ。もしかしたら私の対応のせいでやっぱり引き返した、ってことはないかなあ。」と心配していました。

    人の心配をする前に、自分の受診に集中しろ、と突っ込みたくなりますが。

    不安に思っていることが色々あります

    ある相貌失認の症状を持つ方は、心ない人に「私が誰だか分かる?」と試されるようなことをされて傷つくことがあると聞いて、私もそういうことをされるのかなと不安になりました。

    文章を書くのは子どもの頃から好きなので、ある程度文章を書くことはできるのと、いつもできるだけ明るく振舞っているため、「悩んでいるようにはとても見えない」とつい最近も言われたので、このホームページで書いている内容と実際の自分とのギャップがあると思われるかもしれないと思っています。
    「チラシ配りをしている人がいたら、受け取ろう!」と思っていても考え事をしていたり急いでいたら受け取らないし、知り合いに会っても気付かないことも多くて挨拶ができないので礼儀を知らない人のように映っているかもしれないなぁと思っています。

    そして、忘れっぽいです。コメントやメールに返信をしたつもりになっていて、していなかったことに数年後に気が付いたりします。

    また、緊張し始めると言い間違えがすごいです。例えばラーメン店のアルバイトでしょうゆラーメンとご飯を提供しようとした際、「しょうゆご飯です」と言いながら出してしまいました…。すぐに気が付いて言い直したため、お客さんは「大丈夫ですよ~」と笑ってくれましたが…(^^; 友人からも後から指摘されることがあるため、多分、自分の気が付かないところで相当言い間違えをしているんだろうなと思います。

    思い込みが激しく、様々なことを理解するのに時間を要することがあります

    思い込みが激しく、自分にとって都合の良い情報しか入って来ない時があります。しかも友人がそれを指摘をしても聞き流していたり、言われたことの意味を勘違いしていたりして、そのことに気が付くまで数か月~数年かかることもあります。

    たとえば以前、新しい仕事をしようとしていた時、友人のうち一人だけ「あなたにはこの仕事は向いていないからやめたほうがいい」と忠告してくれていましたが、どうやらそれを聞き流していたようで、他の友人たちは応援してくれていたこともあり、開業してしまいました。

    その後、その仕事がうまくいかずに辞めた時に、「ほら、だからあれほど言ったのに…」とその友人に言われた時、どんなに思い出そうとしても忠告は全く記憶になかったので、自分の脳が信じられなくなりました。最近は、「今、ちゃんと聞いてた?要点を言って」と確認されます…。

    学力と症状は無関係だと思います

    ボーっとしている時もあれば、しっかりしている時もあり、また学校の勉強は問題なかったため、ありえない言動が起き始めると「わざとやってるの?」と言われてしまうこともあり、誤解されるのが辛いです。

    義務感、正義感が強過ぎ、思考回路が独特、脳が暴走することがあります

    もともと「困っている人がいたら助けなきゃ」と思う傾向がありましたが、2013年の大病を機に人類に対する愛が止まらなくなりました。高熱で脳がやられたのかもしれません。

    「自分が死ぬ前に、できる限りのことはやらないと。可哀そうな人がいたら助けないと」という変な義務感、自分勝手な正義感が暴走し、あり得ない行動に出たりすることもあります。友人から「危険過ぎる。その理論が理解できない。思考回路が独特過ぎる。良い動機でやっていても、相手にとっては迷惑でしかない。」と言われたことがあります。

    最近は友人たちの忠告を聞いて、よくよく考えて行動するように心がけてはいますが、ほぼ無意識のうちに電車内で見知らぬ泣いている赤ちゃんをあやしたりしていることがあります。

    知り合いが多く集まる場所は苦手です

    遊園地のような不特定多数が集まる場所は平気なのですが、同窓会や何かの講座などの2回目以降(ある程度顔見知りができ始めた頃)に参加するのが苦手です。

    人は好きなのですが、知り合いが多く集まると「人違いをしないように気を付けなければ」と思って大変なエネルギーを使い、疲れます。小学校の同窓会には一度だけ参加したことがあり、元クラスメイト達と再会できたのは嬉しかったのですが、すぐに「これは私の脳が処理できる限界を超えている…」と感じたのでお酒に逃げることにし、結局飲み過ぎて後半はずっと寝ていました…。

    過集中の傾向があります

    昨年、自分が発達障害の要素を持っていると知った時、「まずい!自分の障害のせいで、子どもたちの命を危険にさらすかも」と不安になり、これまで勉強してきた、保育時の事故や病気の時の対応内容をノートにまとめ直しました。念には念を入れて、最後に「救急は119番」まで書き入れました。

    連日、ほとんど休憩を取らずにまとめる作業をしていたら、首が寝違えた時のようにあまり回せなくなってしまい、その症状が数日続いたので、病院に行きました。レントゲンを撮ったところ、骨に異常はないとのことで、恐らくずっと同じ姿勢で作業をしていたことによって筋肉が固まってしまった(?たしかそう言ってた気がします)ようです。まあ、治ったので良かったですが…。

    会話に集中することが難しいことがあります

    人と会話をしている最中、意識がどこかに飛んでいても、普通に返事をしていて会話が成立していることもあるらしいため、後日全く会話の内容を覚えていなくて相手にびっくりされることがあります。
    いつも一生懸命話を聞こうとしていますが、私がとんちんかんな返事をしたため「バカにしてるのか!!」と相手が激怒したこともあります。

    後先を考えず仕事を辞めようとしてしまいました

    発達障害の本に、保育の仕事は向いていない、といった内容が書いてあったこともあり、緊急時の対応をまとめる作業をしながらも「保育の仕事は辞める」と言い出しました。

    社会経験の長い友人が「早まるな!今まで努力でカバーしてきたんだから、大丈夫。何よりも子どもたちに好かれているんだし。川島さんの性格から考えても、現時点で一番合っているのは保育の仕事なんだから。第一、仕事を辞めてどうやって食べていくの」と引き留められ、たしかにそうだと思い、続行することにしました。

    ただ、過去にささいなことでパニックになり救急車を呼んでしまい、救急隊員に平謝りをしたことがあったので(子どもは無事だったので何よりですが、救急隊員の方に余計な出動をさせてしまいました…)、今でも「保育の仕事は好きだけど、自分の障害のせいで事故を起こしたら取り返しがつかない…」と早く新しい仕事をしたい衝動にかられます。

    でも、新しい夢の実現には、まだまだ時間がかかりそうなので、とりあえず今は「やれるだけの事前の準備や対策はやってあるんだから大丈夫」と言い聞かせながら保育の仕事を続けています。

    嬉しかった言葉

    昨年から今年にかけては自分の顔を鏡で見ても、誰なのか分からないことが数回あったため、「ついにここまで来たか…」と嫌になりました。子どもの頃、自分の家族の顔も分からなかったことがあり、「すみません、どちら様でしょうか?」と言ったこともあるため、もしかしたら将来の夫にも、同じことを言ってしまうかもしれないという不安があります。

    そんな悩みをアルバイト先の先輩に漏らしたところ、「大丈夫だよ。きっと旦那さんは、自分のことを忘れないでいてもらうために、真彩さんのもとにいち早く帰ってきて、大事にしてくれるよ。色んなことを忘れてしまうみたいだけど、その分、いつまでも新鮮な気持ちで付き合えるよ」と言ってくれました。

    「あれ?ちょっとおおげさに伝わってしまったかな?」と心の中で思いながらも、初対面の私に、言葉を選びながら慰めてくれた優しさが嬉しかったです。その方も入院を繰り返している方だったので、人の辛さを理解してくれる方なんだなと思いました。

    また、友人たちから「行動力がすごい」「あなたにはどんなことも乗り越えられる力がある」と言ってもらえたこと。割と単純なので、「そっかあ!」と嬉しくなります(*^^*)

    世の中を生きていくための対策

    こんな私が、世の中を生きていくためには準備や対策が必須です。今までの人生での失敗から自分なりに編み出した対策を紹介します。

    座席表を作成していました

    子どもの頃からクラスメイトを覚えるのが苦手だと感じていたので、新クラスになると自由帳に席順と名前を書いて、何度もその紙とクラスメイトの顔を照らし合わせて覚える作業をしていました。

    あらかじめ症状を伝えています

    親しい人には、自分が相貌失認の気があることを伝えてあります。そのため、私が相手に気が付かなくても「悪気はないんだな」と理解してもらっています。

    待ち合わせで人違いを防ぐために

    「この人かな?」と自信がない時には、すぐ近くで電話をかけてみて、その人が電話に出るかどうかで合っているかを判断しています。

    部屋に子どもたちの写真を貼っています

    自分の部屋に、保育している子どもたちの写真を貼っています。以前、何年も保育していたある女の子に、休日に街で声を掛けられた時、私はその子が誰なのか分からずしばらく固まってしまったことがあります。その子が悲しそうな顔をしたので、やってしまったと思いました。そんなこともあり、たとえ自分の顔は分からなくなっても、子どもたちの顔だけは絶対に忘れないように、毎日写真を眺めるようにしています。

    スケジュール帳を失くしたらすべてが終わるので、絶対に失くさないようにしています

    スケジュールを覚えられないので、なんでもスケジュール帳に書き込むようにしています。毎日寝る前に、翌日の詳しいスケジュールと持ち物、電車の時間や、そこから逆算した家を出る時間を紙に書いています。ただし、少し早めの時間から翌日分のスケジュールを書き始めることもあり、夜にそれをすっかり忘れていて、紙2枚に同じことを書いてしまうこともありますが…(^^;

    スケジュール帳を失くしたら、全てが終わるので、絶対に失くさないようにしています。以前、大雨の日に携帯電話を濡らしてしまい、全データが消えた時は死ぬかと思いましたが、それと同じレベルのダメージです。

    万一に備えて、何かの本で紹介されていた、「これは大切な手帳です。もし拾った方は下記までご連絡下さい。5,000円差し上げます。[携帯番号]」という文章を書いてあります。なお、5,000円というのがちょうど良い金額なのだそうです。少な過ぎると、拾った人はわざわざ連絡しようとは思わないし、多すぎると、何か怪しいと思って逆に連絡してくれないそうです。

    さらに、自分の住所や電話番号も思い出せなくなることがあるので、毎年手帳に書いています。

    仕事のために念入りに準備をしています

    仕事の時もアルバイトの時も、その日覚えておくべき内容を小さめの紙に書いて、携帯しています。そのため、仕事の準備に時間を取られますが、自分の場合はこのような作業をしないと仕事になりません。高校生で初めてアルバイトをした時から、記憶の限りずっとやっています。

    まあ、どんなに準備をしていてもケアレスミスも多いので、保育している子どもに「ごめん!悪気はないんだよ!ほんとごめんね!」と謝って、「考えすぎだよ~。大丈夫だよ~!」と言ってもらったりしていますが…(^^; また、新しく覚えることがある時には単語カードを活用しています。

    時間をかけて記事を書いています

    記憶が混乱しやすいため、資料や記録を参考にしたりじっくりと思い出しながら記事を書いています。内容や脳の状態によっては1つの記事を書くのに100時間以上かかることもあります。

    記憶が間違っている可能性もあるので記事に書いていることが100%事実だとは断言はできませんが、もし間違いに気が付いたら修正しようと思いながら、その時その時のありのままの状態で書いています。ハイになっている時は痛い感じだし、落ちている時は自分でも危ないなあと思うくらいです。

    今も果たして自分の発達障害について公表したことを後悔していないかと問われたら答えることはできません。

    生きづらさを抱えながら生きている方々が、より暮らしやすくなる社会になることを願っています。

  • 初めてテレビドラマを観ました

    初めてテレビドラマを観ました

    人生で初めてテレビドラマを観ました。

    今年、人生で初めてテレビドラマを観ました。

    これまで映画はかなり観たことがありましたが、テレビドラマを観ようという気は全く起きず、テレビのチャンネルを変える際に視界に入る時などを除いて、自分の意志で選択して観たことはありませんでした。

    テレビドラマを観ることになったきっかけは、今年、私の勘違いと思い込みが激しいことを露呈する出来事が起きたことです。私は訳が分からず、「??」となっていました。友人が解説してくれても納得できず、とても落ち込んでいました。

    少し経ってから、私のことをよく理解してくれている友人から、一般的な感覚を知るためにテレビドラマを観ることを勧められました。今後の人生に役に立つかもしれないので、がんばって観てみるようにとアドバイスされました。

    テレビドラマを観る工夫

    思い返せば、これまでの人生の中で、テレビドラマを観ようと思ったことがありませんでした。

    私は、ものみの塔の教えによって、テレビドラマを観ることに対して罪悪感を持っていました。
    「サタンの考え方の影響を受けた人は,わたしたちの心を腐敗させるためにストーリーを使います」(エホバの証人の公式サイトより引用)といった内容を幼少期から繰り返し聞かされていたため、テレビドラマに対して悪いイメージを持っていたのと、昨年ひょんなことから数時間、海外のテレビドラマを観ることになったのですが(選択肢がそのドラマか、子ども向けのアニメしかなかったので、仕方なく観ました)、内容がドロドロしていたので、ドラマに対してますます悪いイメージを持つようになっていました。

    相貌失認の気がある上に忘れっぽい私には、長期間にわたって登場人物やストーリーを忘れることなく見続けなければいけないことはハードルが高かったのですが、「そうだ、番組にはホームページがあるのだから、登場人物の写真が載っているページを印刷して、その紙を見ながら番組を観ればいいんだ!ストーリーもネットで時々確認すればいいんだ!」と思い付き実行に移しました。

    またドラマを毎回見逃さずに視聴するのは難しいかもと思っていましたが、「録画してから観れる時に観ればいいんだ!そもそも、いつも他の番組も録画してから観ているんだし」と、録画してから観ることにしました。相変わらず気が付くのが遅いのです…。

    ドラマを最後まで観ることができたことで、少し自信につながりました

    上記の工夫の結果、ほぼ人生初の視聴となるテレビドラマ「この世界の片隅に」の最終回まで無事に観ることができ、内容も理解できたため、少し自信につながりました。それに、「なんで今までドラマを観なかったんだろう?」とドラマの魅力に気が付きました。

    私は友人から、かなり独特の感覚を持っていることを指摘されています。今回は起きたことの意味が分からず、「何で??」となっていたのですが、友人が解説してくれて数か月経ってから、ようやく自分に非があったことが分かりました。「確かに、一般的な感覚を知るためにはドラマを観たほうが良さそうだ」と思いました。

    これからはもっと積極的にテレビドラマを観て、一般的な感覚を知り、勘違いや思い込みを減らせるようにしていきたいと思います。
    といいつつ、これから観ようと思っている「下町ロケット」は登場人物が多すぎて、人物相関図のプリントを観ながら、「内容はすごく興味があるんだけど、これはちょっと厳しいかも…」と躊躇しているので、初回分から録画が溜まってきてしまっていますが…(^^;

  • 本人が気付いていない障害を指摘する場合に考慮してほしいこと

    本人が気付いていない障害を指摘する場合に考慮してほしいこと

    友人から発達障害を指摘されて

    昨年、友人の一人から「発達障害だと思う」と伝えられて病院を受診し、自分に発達障害の要素があることを知って約1年になります。その友人は「真彩ちゃんのために、伝えずにはいられなかった」と言っていました。

    発達障害と言われて、子どもの頃からのことを思い返すと腑に落ちるところがありました。
    私は、エホバの証人になったがゆえに上層部からの指示を盲信してしまった母親から虐待を受けて育ちました。
    大人になってからも続く自分の様々な症状の理由がいまいち分かりませんでしたが、検査の結果、お医者様から「発達障害の傾向がみられるけど、虐待のせいでそれが目立ってしまうようになった感じです。色々気にしすぎる点は、虐待によるトラウマのほうが影響が大きいでしょう」と説明を受けました。

    障害を伝えられるプラス面

    障害を指摘されて、色々なことがうまくできない理由が分かってすっきりしたという点はプラスだったかなと思っています。
    受診後、障害をプラスとして工夫・対応を考えて生きていこうと前向きになったのも事実です。

    障害を伝えられるマイナス面

    私はアップダウンが激しいため、元気な時の私を知っている人は「まさかそこまでは落ちないだろう」と思うかもしれません。落ちている状態でも、傍目にはそれほどひどいようには見えないようなので、ただ生きていくのにどれほど苦労しているのかを周囲の人に理解してもらうのは難しいのです。

    不安になりやすく思い込みの激しい私にとってはマイナス面のほうが大きかったと思います。相貌失認の症状も悪化してしまい、昨年から今年にかけては、自分の顔を鏡で見ても、誰なのか分からないことが数回ありました。

    色々本を読んで対策を取っていこう、前向きにとらえていこうとしていますが、落ち始めると普段できていることができなくなり、本を読んでもほとんど頭に入ってこなくなってしまいます。

    かなり前に発達障害関係の本を読んで、色々と思い当たることもあり、自分から「少し発達障害の傾向があるかもしれない」と人に伝えたこともあったような気がしますが、自分から言うのと、人から指摘されるのとではダメージが全く違います。

    本人が気付いていない障害を指摘する場合に考慮してほしいと思ったこと

    実は、もう1人私の症状に気が付いていた方がいらっしゃいました。その方は気付いていても発達障害に関しては一切触れずに、うまく仕事をしたり社会で生きていくことができるようアドバイスをしてくれていました。

    気付いていても発達障害に関して触れなかったのは、なにかとうまくいかない中で工夫しながら生活しようとしている私に、「障害」という一言が与える影響を心配していたからとのことでした。
    友人から障害を指摘された私にその方が心配していた通りのことが起きてしまったため「責任を取ることもできないのに、その友人の方は配慮がないと思います。」と話していました。

    子どもの頃から死にたい気持ちと戦ってきた私のような人の場合は、「障害」という一言はマイナス面のほうが大きくなってしまうことがあることを知っておいてほしいと願います。

    もちろん、障害を自分で認識することで、生活や仕事上でトラブルを回避するような工夫や対応を考えることができるので、障害を認識することは大事だと思います。ただ、伝える際には相手がどの程度ショックに耐えられるのか、また伝えなくても工夫して生活していけているのかをタイミングも含めて慎重に見極める必要があると、自分自身に起きたことから感じました。

    発達障害と診断された方へ

    発達障害を認識されたら一人で悩まずぜひお医者様や専門家に相談してほしいと思います。
    また以下のように、最近は子どもだけでなく大人の発達障害の方が、社会の中で生きやすくする工夫について書かれている書籍が多く出ていますので、そういったものから自分にあった工夫を取り入れて少しでも生きやすくなって欲しいと願います。私もいろいろ工夫して前向きに生きていきたいと思います。

  • 夜の街をさまよう少女のための巡回バス『Tsubomi Cafe』

    夜の街をさまよう少女のための巡回バス『Tsubomi Cafe』

    ヤフーニュースで、夜の街をさまよう女子中高生らとつながるための夜間巡回バス『Tsubomi Cafe』について知りましたので、こちらでもご紹介させていただきます。

    10月17日よりスタートする、10代無料の夜カフェ『Tsubomi Cafe』。

    都内の繁華街に駐車し、無料で食事を出したり相談にのったりして、必要な支援につなげていく。
    (中略)バスの周囲にはテントを張り、椅子とテーブルも置く。車内では、歯ブラシや化粧品などがもらえる。フードバンクと連携し、食事や飲み物、衣類の提供もあり、スマートフォンの充電も可能だ。必要があれば病院に同行したり、宿泊先を確保したりする。
    ヤフーニュースより引用

    今後の詳しい開催予定については上記の『Tsubomi Cafe』のサイトをご覧ください。
    なお、中高生、10代の方以外の参加や見学はできないそうですので、ご注意ください。

    すべての少女が 「衣食住」と「関係性」を持ち、困難を抱える少女が搾取や暴力に行き着かなくてよい社会を目指して活動しているという一般社団法人Colaboが、こちらのTsubomi Cafeを運営しているそうです。

     

  • ときには人を巻き込んで助けてもらう

    ときには人を巻き込んで助けてもらう

    最近、1週間ほど入院していました。おかげさまで現在は退院して順調に回復しています。
    入院中にちょっと困ったことに遭遇してしまったので、そのときのことや、そのことから学んだことを自戒の意を込めて記事にします。

    談話室で、ある男性に話しかけられる

    入院して最初の頃は、病院のベッドの上で寝ていましたが、ある程度体調が回復してきてからは、私はその病院にある談話室で過ごすようになりました。

    そこで、私よりかなり年上の入院患者男性Aさんから話しかけられ、初めのうちは世間話や話題になっているニュースについておしゃべりをしていました。

    ほとんどAさんが一方的に話していたのですが、幅広い知識を持ったAさんの話は興味深く、「特に何もすることがない入院生活で、こうやって人生の先輩の話を聞くのもいいかなあ。話を集中して聞く練習になるし…」と私は一生懸命話を聞いていました。

    次第に話がおかしな方向へ…

    ところが毎日顔を合わせるうちに、次第に話の内容がAさんのこれまでの業績と、これからやるつもりの事業についての話になっていきました。さらに、「自分は霊と交信できるから、何でも分かってしまう。これから自分はとても有名になる」「うちの株を買わないか?」という話になっていき、私は「???」と思うようになりました。

    ただ、Aさんの話はどんどん熱を帯びていき、話したくてたまらない様子だったので、「ここで席を立ったら悪いかなあ…」と私はそのまま席を立たずに、少し頭がくらくらになりながらも話を聞き続けていました。

    普段、元気な時に駅前や路上で「?」と思う人に話しかけられた場合には、簡単に断ることができるのですが、体調が悪い時に、最初は普通の話で打ち解けていた人と、予想していなかった話題になっていってしまった際には断るのが難しかったです。

    「もし本当になんでも分かるのなら、私が迷惑がっていることも分かるはずなのになあ…」と思いながらも、「でも実績がある方だし、もし今話している事業計画(事業の内容自体は賛同できる内容でした)が将来本当に実現したら素晴らしいから、応援する意味でも聞いておいたほうが良いのかなあ…」と迷いながら、席を立つタイミングを逃していました。

    看護師さんに相談することに

    連日で話を聞かされたある日、またAさんに言われるがままに翌日も談話室で会う約束をしてしまったのですが、私は夜中になってから「あれ?この状態はいつまで続くんだろう…?」と不安になりお腹が痛くなってきたため、看護師さんに事の経緯を説明して、話がおかしな方向に行かないよう助けてもらうことにしました。

    翌日、私が機関銃のようなAさんの話を聞いているところに、看護師さんが「あら、今朝退院したAさんじゃない!どこかで見た顔だと思ったら!」と自然に会話に入ってくれました。

    そのままAさんは私達に「私は開発霊媒師で、、、」ということなど熱く語ります。その途中で、看護師さんが私に「あれ?時間大丈夫だっけ?」と話を振ってくれ、「あ、もう行かなきゃいけないので。わざわざありがとうございました」と言う私の背中を看護師さんが押してくださり、スムーズに退出することができました。

    後から、看護師さんがいらして「体調悪い人に難しい話をしないでって釘刺しといたから」とAさんにやんわりと注意をしてくださったことをお聞きし、無事にAさんとの連日の会話に終止符を打つことができたんだなと安堵しました。

    ときには人を巻き込んで助けてもらうことの必要性

    最初打ち解けて話をしていた人との会話がおかしな方向に行った時、私は「今さら席を立つのは悪いなあ…」となかなか断ることができない性格(&とろくて、席を立つタイミングを逃す)なのですが、流れに任せているとますます断りづらくなってしまうということを学びました。

    また、どうしようもなくなってしまった時には、信頼できる人に間に入ってもらうことの大切さを学びました。面倒事に巻き込んでしまい申し訳ないなぁと、つい自分だけで抱え込んでしまいがちですが、早めにおおごとになる前に間に入ってもらった方が、結局周りに迷惑をかける度合いが低いということを経験しました。

    いろいろな方に聞いた話では、病院にはそうやって体調が悪く落ち込んでいる人を狙って、宗教の話とか怪しい話をしてくる人がよくいるのだそうです。病院側も気を付けてくれていますが、自分でもしっかりと断る勇気を持っていなければいけないですね…(>_<)

    おまけ…
    入院中に迎えた「土用の丑の日」に出された食事に添えられていた、うちわの折り紙です☆
    まさか病院でうなぎが出されるとは!!数年ぶりのうなぎだ~!!わ~い!!とびっくり&折り紙まで添えてくださる心遣いが嬉しかったです(*^^*)(嬉しすぎて食事はすぐに食べてしまったので、うなぎの写真はありません(^^;)

  • 高騰する大学の授業料に対応「学び方の形」が変化

    高騰する大学の授業料に対応「学び方の形」が変化

    先日(2018年7月4日)放送のWBS(ワールドビジネスサテライト)で、大学での学び方が変化していることが取り上げられていたので、ご紹介させていただきます。

    番組では、大学の授業料が値上がりを続けていること、今では大学生の2人に1人が奨学金を受給しているということが述べられ、そのような中で、学費をできるだけ低く抑えながら学ぶことができるスタイルが出始めていることが紹介されていました。番組ではそのような取り組みを始めた二つの大学が紹介されていました。

    東洋大学の「独立自活」支援推薦入試

    一つ目に紹介されていたのは「東洋大学」です。

    東洋大学では学生の「独立自活」を支援する推薦入試を実施しています。合格すると、昼は大学職員として働きながら、夜間部の学生として学ぶことができます。東洋大学の加藤入試部長は「学ぶ場はお金を持っている人だけでなく、いろいろな人に提供するのが使命」と語ります。
    WBS公式ホームページより引用)

    働きながら学びたい人を応援するこの新しい奨学金制度は、2014年度入試よりスタートしたそうです。
    東洋大学の「独立自活」支援推薦入試の公式ページはこちらです。

    4年間の学費が62万円の東京通信大学

    そして二つ目は、今年4月に開学した「東京通信大学」です。
    東京通信大学では、ほとんどの講義をスマホやパソコンなどの端末で受講でき、通学不要で大学卒業資格<学士>も取得でき、4年間の学費は62万円だそうです。授業はすべて15分程度の動画で配信されるため、家事や仕事の合間を縫って学ばれる方も多いようです。
    出願や大学に関する質問もWebサイトで受け付けているそうです。
    また、学長の村岡洋一先生を取材した記事を見つけましたので、以下にリンクを貼らせていただきます。

    大学で学びたいと願う人が、学べるチャンスがこれからも増えるといいなと思います。

    特に、JW2世の方など、家庭の事情で大学進学を諦めていた人にとって、こういった大学のありようの変化は望ましい事だと思いました。

  • 勇気ある撤退 ~ サンクコストにとらわれないで

    勇気ある撤退 ~ サンクコストにとらわれないで

    過去記事「なぜ私はものみの塔を脱会するのに約10年を要したのか」で、私がエホバの証人を辞める(ものみの塔を脱会する)のに長い年月がかかってしまった要因を4つ挙げましたが、もう一つの要因を思い出しました。

    私は、長い間ものみの塔に対して疑念を持ちつつも「万一、教団の言っていることが本当だったとしたら、私はハルマゲドンで滅ぼされてしまう」という恐怖心とともに、

    「今脱会してしまったら、これまで教団のために費やしてきた多大な時間や労力、犠牲がすべて無駄になってしまう。教団の言っているようにハルマゲドンが本当に起こって私が助かるかもしれないし。」

    という思いがなかなか捨てられず、脱会までには長い年月を要しました。

    このように、「ここまで頑張ったのに今さらやめるのはもったいない」という心理状況。ものみの塔脱会に限らず、生活のあらゆるところで起こるかと思いますが、経済学や経営学ではサンクコスト効果と呼ぶそうです。

    【サンクコスト】
    すでに支出され、どのような意思決定をしても回収できない費用のこと。埋没費用。
    [補説]それまでに費やした資金や労力、時間を惜しんで事業を継続すると、損失が拡大するおそれがあることから、意思決定に際して、サンクコストは無視するのが合理的とされる。
    デジタル大辞泉

    参考記事:(ネットで見つけた、エホバの証人とは無関係の方の記事です)

    過去に払ってきたサンクコストをもったいないからと、自分の将来を困難に縛り付けてしまうより、サンクコストを捨てる勇気ある撤退を決断できたからこそ、今の穏やかな生活を得ることができたのだと思います。

    JWに関すること以外にも、自分の将来を縛るサンクコスト、色々な場面でありそうです。(飽きるのが早い私は、けっこう色々辞めていますが…(^^;)

  • 初めて心療内科を受診しました

    初めて心療内科を受診しました

    アルバイトの仕事でいつも真っ白に

    私は今年、あるラーメン屋さんでアルバイトをしていたのですが(その時の記事はこちらです)、結局そのラーメン屋さんも短期間しか働けませんでした。

    学生時代や20代前半の頃は様々なアルバイトを、とろいなりにもなんとか業務をやっていて数年間働けていたのですが、今回は短期間のうちに働けなくなってしまいしました。何か大きなミスをしたりいじめられたわけではありませんが、精神的に追い詰められるようになってしまったからです。

    それは、「自分はどんなに頑張っても、周りの人たちのようにうまく働くことはできない」と気が付いたから、そしてオーナーのA氏が大変な苦労をしながら成長させてきたこのお店を、私のせいで評判を落としてしまったら取り返しのつかないことになってしまう、という不安が募ったからです。
    ストレスのせいでまるで風邪を引いた時のように声がしゃがれてしまい、一日当たり5時間働いただけで心身が疲弊して、帰宅してからそのまま着替えることもできずに翌日まで部屋の中で倒れていました。そのため本業の仕事ができなくなってしまいました。

    私は飲み込みや物覚えが悪く、周りの人たちがすぐに記憶できる内容もなかなか覚えられないので、メニューや店内の写真を撮らせてもらい、自宅で数時間かけてメニューとテーブル番号とマニュアルをノートと単語帳にまとめて暗記をしてからアルバイトに臨んでいたのですが、それでも実際に働く場面になるとしばしば頭の中が真っ白になってしまい、せっかく時間をかけて覚えてきたことも抜け落ちていました。

    心療内科受診を勧められて

    そんなこともあり、仲の良い友人に「発達障害だと思う。病院を受診したほうが良いと思う」とアドバイスされ、人生で初めて心療内科を受診しました。

    自分でも以前から、自分のこの何事もうまくいかない現象について、何となくおかしいなあと気が付いていましたが、「まあ、誰にでも苦手なことはあるし、それにうまく仕事ができなかったりミスが多いのは相貌失認のせいとか、疲れのせいかもしれないし…」と思って受診したことはありませんでした。
    しかし、今年は症状が今までで一番ひどく出ていたため、「障がいがあるのかないのか、はっきりさせて、前に進みたい」という思いが強くなり、友人の前述の一言が後押しとなり、受診することを決意しました。

    受診する前に、長年私を見守ってくれている方にも相談したところ、「最初に会った時から発達障害関係なんだろうなと気が付いていたよ。ショックが大きいと思って言わずにいたけど。」と言われ、「ああ、もうこれはほぼ間違いないなあ…」と思いながら都内の病院に予約してから行きました。

    受診

    診察は女医さんが担当してくださったのですが、診断の結果、やはり私には発達障害の要素があり、それに加えて幼少期の虐待のトラウマによって症状が強く出ていることが分かりました。

    予想通りの結果だったとはいえ、「私には相貌失認以外にも障がいがあるのかあ…」としばらくは非常に落ち込んで、眠れない、涙が止まらない、呼吸を無意識のうちに止めてしまう、横になっていると、地中に落ちていく感覚に襲われる、普段できていたことができなくなってしまう、という状況になりました。

    病院に行く際に、その仲のよい友人が「病院に付き添おうか?」と言ってくれましたが、非常に忙しいスケジュールをこなしている友達に悪いと思って「一人で行けるから大丈夫。」とその申し出を断ってしまいましたが、後から考えればやっぱり付き添ってもらえば良かったなあと思いました。

    というのも、一応メモを取りながら先生の話を聞いていたのですが、話を集中して聞くことが難しい私は「もしかしたら何か重要なことを聞き逃したかも」と帰宅してから不安になったからです。そして自分のメモの字がとても汚くて、読めない文字もあったからです…(>_<)

    また、このホームページの中で「もし心療内科や精神科を受診される場合には、勇気を出してご自分がエホバの証人であったことを、お医者様におっしゃってください」と書いていたのに(こちらのページです)、自分は宗教名を言えなかったのです。しばらく経ってから、実際に受診をされる方の気持ちにまだまだ理解が足りなかったと自己嫌悪に陥りました。

    あえて言わなかったのか、それとも言えなかったのか自分でも分かりません。でももし今後また受診することがあれば、その時には言おうと思います。

    なぜものみの塔脱会後17年経過してからひどく落ち込んだのか

    ものみの塔を脱会してから17年も経っているのに、今年どうしてここまで落ち込んだのか、考えてみました。

    子ども時代を思い出す作業をして、過去の記憶がよみがえってきたため…過去記事「ずっと死のうと思ってた」と「なぜ私の母はものみの塔に入信し、その結果私のような子どもができあがってしまったのか」(下記参照)の記事を書くにあたり、ものみの塔関連の本などを読んだり、一生懸命過去を思い出そうとしたり、妹に事実確認をしたりしていくうちに、封印していた過去の記憶がよみがえってきて、苦しみ始めました。記事を書いてからしばらくは「すっきりした!」と思っていましたが、あとからじわじわときました。


    ものみの塔によって精神を病む人たちが多いことを知るようになり、「なぜもっと早く行動をしなかったのか」と自分を責め始めたため…私は子どもの頃、虐待を受ける子どもたちを目の当たりにしていても、通報をしませんでした。
    「警察の電話番号が110であることは知っていたはずなのに、なぜ通報しなかったのか」と当時の自分を責め、また「エホバの証人の子どもたちを助けたい」とぼんやりと思い始めてから実際にホームページを作成するという行動に移すまでに20数年を費やしてしまったことに、「あまりにも行動が遅すぎる」と、今の自分を責めるようになっていました。

    私が立ち直ったきっかけとこれからの夢

    ものみの塔によってボロボロにされた心の傷はどこまでも深いものだと改めて感じ、相変わらずの自己肯定感の低さが浮き彫りとなった2017年でしたが、記憶力の悪さは抜群(?)なので、数年後には「まあ、そんなこともあったかなあ」となっているかもしれません(^^;
    ただし学習能力のなさも抜群なので、また落ちているかもしれませんが…。

    今は、ほぼ普段通りの生活ができる位までには回復していますが、今回も私の心の回復に役立ったのはやはり本でした。子どもの頃から、自分の心を奮い立たせる言葉に出合った時、また心を動かす本と出合った時にはノートやメモ帳などに内容を書き記してきたのですが、そのようにしてきて本当に良かったと思いました。
    その時々の状況で心に響く言葉は違いますが、長い年月書き記してきた数々の文章や手元にある本たちは、やはり大きな力となりました。

    また、一旦は非常に落ち込みましたが、これまで人生の仕組みなどについて勉強してきたことや、発達障害について調べていた友人たちのアドバイスが心の回復にとても役立ちました。

    私はすべてのことに意味がある、と信じているので、自分に障がいがあるということは、症状や程度は千差万別とはいえども障がいを持つ他の方々の気持ちも多少なりとも理解できる、それはこれからの人生においてプラスとなると考えています。

    数年前から準備を始め、昨年開業した新たな仕事も結局軌道に乗らず、辞めることにしましたが、この仕事は自分には合わないと分かっただけで勉強になった、この仕事を通じて仕事の先輩方や同期の仲間とのご縁をいただけただけでも良かった、失敗をした分、一歩成功に近づいた、と考えるようにしました。

    そして最近、また新たな夢を持ち始めました。
    今も相変わらず綱渡りの生活をしている状況なので、新たな夢の実現までにはこれからさらに何年かかるか分かりませんが、私の大好きなフレーズの一つである、「If you can dream it, you can do it.」の言葉を胸にコツコツと努力していこうと思います。

    発達障害を理解し生きていくための対処法を学んだサイト

    発達障害についていろんなサイトや本を読みましたが、私にとってはこのサイトのマンガが分かりやすく、ユーモアもあって良かったです。
    また、発達障害を抱えて生きていく上で、生きやすくなるための対処法もこのサイトから学びました。
    作者である精神科医は最近トラブルの報道があったようですが、サイトや本の内容からは私は得るものがあったと思っています。

    単行本も出ています。ただし、どちらも比較的下ネタが多いので、苦手な方はご注意くださいませ。

  • 注目の“ごちゃ混ぜ”の街『シェア金沢』

    注目の“ごちゃ混ぜ”の街『シェア金沢』

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    人が直につながり、支え合い、共に暮らす街として注目を集めている『シェア金沢』が、テレビ東京の番組、『カンブリア宮殿』で今年7月21日に紹介されていました。
    その街で暮らす方々の生き生きとした表情が印象的でしたので、今回、シェア金沢についてご紹介させていただきます。

    シェア金沢とは

    高齢者、大学生、病気の人、障害のある人、分け隔てなく誰もが、共に手を携え、家族や仲間、社会に貢献できる街。かつてあった良き地域コミュニティを再生させる街。
    いろんな人とのつながりを大切にしながら、主体性をもって地域社会づくりに参加する。
    あなたも「Share金沢」づくりに参加しませんか。

    シェア金沢のホームページより

    シェア金沢は、石川県金沢市にあり、東京ドームよりやや小さい約11000坪の敷地内に、児童入所施設、サービス付高齢者向け住宅、高齢者デイサービス事業所などの様々な福祉関連の施設や学生向け住宅が混在し、高齢者や障がい者、学生など、およそ70人が一緒に暮らす「多世代共生タウン」となっています。この新しく作られた小さな街に、全国から年間600以上の視察団が訪れるほど、関心を呼んでいます。2015年4月には、安倍首相も視察に訪れました。(記事はこちらです)

    敷地内には、クリーニング店やレストラン、売店、天然温泉、キッチンスタジオ、ライブハウス、ドッグラン、アルパカ牧場などもあります。また、就労の場も多くあり、高齢者や障がい者が働きがい・生きがいを持って充実した日々を楽しんでいます。またそのような施設は地域の方々も気軽に利用することができるため、住民とのコミュニケーションが生まれています。

    高齢者が安心して暮らし、生きがいが持てる街

    シェア金沢で、住民の半数以上を占めるのは32戸のサービス付き高齢者住宅に住む高齢者で、現在入居している人の半分弱が都心からの移住者だそうです。
    住まいは1LDKにキッチン、バストイレ付きで家賃と共益費、さらに毎日の安否確認など「見守り」のサービスがあり、計12万円ほど。栄養面を考慮した手作りの朝食と夕食のサービスもあり、共同リビングで住民同士、顔を合わせながら食事ができます。

    番組に出てきた鈴木総七郎さん(74歳)は、2年前、配偶者に先立たれ、神奈川県からシェア金沢へ移住して来たそうです。鈴木さんは、日々、敷地内にある畑で野菜作りに汗を流し、さらに、施設内の高齢者向けデイサービスでも働いています。他に障がい児のサポートの仕事もあり、多い月には約100時間働き、約7万円の収入になるといいます。また、高齢者向けデイサービスは、必要となればすぐに利用できるそうです。

    学生も障がい者も子どもたちも、みんなが“ごちゃ混ぜ”

    シェア金沢には、学生や障がい者も暮らしています。

    学生用住宅は1DK24㎡、水道・光熱費込みで家賃は4万円と格安です。学生用住宅の入居条件として、シェア金沢内で月30時間のボランティア活動が課せられています。その内容は、高齢者の入浴介助や対話などで、高齢者と若者が交流する恰好の場になっています。

    番組では、今年金沢大学に入学した富田康平さんが登場し、18歳の富田さんと80歳のおじいちゃん、74歳の鈴木さんの3人で温泉へ行く様子が放映されました。富田さんは、入浴介助のボランティアとして、80歳のおじいちゃんの背中を流していました。お孫さんのような年代の若者に背中を流してもらい、一緒に温泉を満喫する、幸せそうなおじいちゃん。そして、富田さんの「いろいろな人と交流できて楽しい。楽しみながらボランティアできるのが一番いい。」という言葉や表情から、世代を超えた交流を心から楽しんでいる様子が伝わってきました。

    また現在、知的障がいを持つ子どもたち、30人が共同生活をしていて、アルパカの世話もしています。
    そしてシェア金沢では、障がい者も温泉やレストランで、健常者と一緒に働いていて、障がい者40人の雇用も生み出しているそうです。番組では、軽い知的障がいを持つ女性が近隣地域に住む高齢者への配食サービスを行う様子も放映されており、彼女が生き生きと働いている様子が印象的でした。

    また、シェア金沢では学童保育も行なわれているため、近くの小学校が終わる時間になると子どもたちが集まってきます。さらに、敷地内には芸術家も住んでおり、そのアトリエも子どもたちの遊び場になっています。 子どもたちも街に溶け込む、まさに多世代交流コミュニティなのです。

    シェア金沢は、日本版CCRC

    シェア金沢は、日本版CCRCだそうです。
    シェア金沢のサービス付き高齢者向け住宅の入居の条件は、単身高齢者世帯か、高齢者+同居人だからです。

    CCRCとは、「Continuing Care Retirement Community」の略です。
    従来の高齢者向け施設とは違い、高齢者が体を動かすことができるうちに入居して、生活支援サービスなどを受けながら、仕事や生涯学習、社会活動に参加し、仲間を作ったり街を作っていく、終身で過ごすことが可能な生活共同体です。

    「アクティブシニアタウン」とも言われていて、1970年代のアメリカで始まったシステムです。アメリカでは現在約2000か所存在しているそうです。CCRCと老人ホームとの大きな違いは、入居時の状況です。一般的に老人ホームは健康に不安を抱えた時に入居する傾向がありますが、CCRCは健康には問題のない方々がセカンドライフを楽しむために入居します。

    そして、シェア金沢では、高齢者だけではなくて、障がい者、大学生などを集めて、一緒に暮らすことで、さらなる街づくりを目指しています。
    言ってみれば、ごちゃまぜCCRCなのですが、それが日本版CCRCと呼ばれている理由です。

    広がる雄谷良成氏の想い

    このシェア金沢を作ったのは、「佛子園(ぶっしえん)」理事長、 雄谷良成(おおや・りょうせい)氏です。シェア金沢を運営する佛子園は、雄谷氏の祖父が、戦災孤児や障がい児などを預かり、1960年に創設されました。雄谷氏はそうした子ども達と、ひとつ屋根の下で一緒に育ちました。「障がい者が隣にいて当たり前の場を作りたい」という雄谷の想いを具現化したのがシェア金沢なのです。

    「元気な人もそうでない人も、高齢者も若い人も、障がいのある人もない人もみんな“ごちゃ混ぜ”になっている。気配を感じるだけですごく温かい場所になる。」と雄谷氏は語っていましたが、番組からは、シェア金沢がまさしくそのような温かいコミュニティになっている様子が伝わってきました。

    そして、雄谷氏が提案する「高齢者や障がい者が一緒に支え合う街作り」は、全国に広がり始めているそうです。生きがいを持ち、人々が触れあい支え合えるコミュニティ作りが始まっているのです。

    最後に、『カンブリア宮殿』のインタビュアー、村上龍氏が今回の編集後記で述べていた言葉に光を感じましたので、ご紹介させていただきます。

    「やってあげる」「やってもらう」がベースの福祉は、やがて破綻する。世の中にはいろいろな人がいて、それぞれ助け合って生きている、だから社会的に必要とされない人は存在しない、「佛子園」の哲学は、人の原点である。

  • 生きるように働く人の仕事探し『日本仕事百貨』

    生きるように働く人の仕事探し『日本仕事百貨』

    生きるように働く人の仕事探し『日本仕事百貨』

    「仕事と人との幸運な出会いを生み出したい」という気持ちが行間から滲み出ている求人サイト、『日本仕事百貨』を最近知りましたので、ご紹介させていただきます。

    shigoto

    こちらのサイトは、一般的な求人サイトとは違い、給与や勤務地だけで検索しても埋もれてしまう、でもきっと誰かが探している仕事を、スタッフたちが職場を訪ねて取材し、その場の空気を感じて文章と写真でひとつひとつ紹介しています。

    「意義ある仕事を意思ある人に届ける」ことを目指して、代表の中村健太氏が2009年に立ち上げたこちらのサイトは、大手求人サイトと比較して掲載案件は少ないものの、そこで働く人の様子や仕事に対する考え方、生き方まで見えてくるような取材がされています。また、募集期間が終了した案件や、採用が決まって終了した案件でも、取材内容をいつでも読むことができます。

    また、『日本仕事百貨』の特長の1つが、掲載されている案件のユニークさです。採用人数の少ないものや、東京以外にも地方の中小企業の求人も多く、常時20件ほどの求人が募集中として掲載されています。仕事や職場を通じて自分の新しい生き方を探せる、見ていてワクワクするサイトですので、転職の意志はなくとも、読み物として楽しんでいるファンも多いそうです。
    各記事の内容は濃く、愛が感じられ、「人と場所の出会いがうまくいけば、人はいきいきと働ける。いきいきと人が働ける場所は、その人にとってもいい場所になる。」という中村氏の想いが伝わってきます。

    求人のカテゴリーも独特です。「地域にねざす」「場づくり」など、<業種>ではなく<働き方>から仕事を見つけることができます。
    等身大で気取りなく、人間味にあふれる約4000字の長い記事の最後に応募ボタンがあるため、記事をじっくりと読んで、本当に興味のある人が応募してくるとのことで、企業側も一人ひとりをじっくり選考することができるそうです。その結果、入社後も企業と応募者のすれ違いが少ないとのことです。

    「僕たちはその会社に合う人に応募してもらうために、「その会社で働くということ」をよりリアルに伝えたいんです。記事を読んだ人が実際にその職場に行って働いている人に会って、社内の雰囲気を感じて、さらにその職場でずっと働いていけばどうなるかを想像できるように、複数の社員に長時間インタビューして、仕事にかける思いなどを聞き出し、その会社ではどんな人たちが働いているのか、職場の雰囲気はどんな感じなのかをかなりの分量を割いて書いています。その中には取材者の主観もかなり入っていて、それにより、よりリアルで血の通った記事になっています。

    また、いいことばかりではなく、仕事のたいへんな点やつらい点などネガティブな面もできるだけ包み隠さず書いています。それによって求職者が安心して仕事を探せると思うからです。この辺がその他の求人サイトとは決定的に違う点だと思います。」
    株式会社岡村製作所のHPより引用

    このような誠実なスタンスが多くの人の共感を呼び、大手求人サイトでは掲載案件のうち採用が決まるのは1割ほどと言われている中、同サイトでは掲載した求人数のうち6-7割の案件で採用が決まるといいます。また、求人掲載についても営業はゼロで、口コミだけで月100件ほどの問い合わせを受けているそうです。

    清澄白河駅近くの『しごとバー』

    同サイト内で紹介されている、清澄白河駅近くの『リトルトーキョー』で開催されている『しごとバー』も素敵なイベントだと思いました。いろいろな分野で働いている方をバーテンダーとして招き、気軽にお酒を飲みながら話を聞く場所ということで、就職活動中の方や、仕事についていろいろ聞いてみたい方にはぴったりの場所だと思います。

    コンセプトが面白いその他の求人メディア

    『日本仕事百貨』以外でも、少し珍しい求人メディアを集めたサイトを見つけましたので、リンクを貼らせていただきます。
    ものみの塔は、ものみの塔組織の為に働くこと以外を低く見るよう刷り込みを行いますが、ぜひ、「働くこと」についてご自分と向き合って真剣に考えるきっかけの一つになって頂ければと願っております。

  • 「どうせ無理」を「だったらこうしてみたら」に変えよう!!

    「どうせ無理」を「だったらこうしてみたら」に変えよう!!

    周りから「無理だ」と言われても

    北海道の田舎の会社で宇宙開発をしている、植松努氏。
    彼は周りから「無理だ」と言われても、失敗を繰り返しながらも工夫を続け、民間での宇宙開発に挑み続けています。そんな彼がTEDで語ったスピーチがとても感動的でしたので、ぜひこちらをご覧いただけたら幸いです。

    公演を文字起こししたものは以下で読めます。

    「どうせ無理」という言葉が、多くの人から自信や可能性を奪っている

    夢や目標を語る人々に対し、「どうせ無理だ」と簡単に決めつけてしまう人がいます。
    植松氏は、この「どうせ無理」という言葉が、多くの人から自信や可能性を奪っているといいます。

    これは人間の自信と可能性を奪ってしまう最悪の言葉です。でも、とっても簡単な言葉なんです。これを唱えるだけで何もせずに済んでしまうから、とってもらくちんになれる恐ろしい言葉でもあるんです。こんな言葉で未来を諦めさせられてしまった人たちは、自信を失ってしまうんです。でも人間は生きていくためにはどうしても自信が必要なんです。

    「どうせ無理」という言葉を使うのは、やったことがない人たちです。
    自信をなくしてしまった人たちの中には、他の人が頑張ったら困るから「どうせ無理」といった言葉をかけて、努力を邪魔するようになってしまう人たちがいるのです。

    「どうせ無理」を無くせば良い社会が来ると思ってます。でも、僕一人にできることは限りがあるからどうしても仲間が欲しいんです。これは僕の代では終わらない夢かもしれないんです。だからこそ、皆さんの力を貸して欲しいんです。
    皆さんが今日から「どうせ無理」という言葉に出会ってしまった時に「だったらこうしてみたら」と言ってくれたら、ただそれだけでいつかこの「どうせ無理」という言葉が無くなってこの世からいじめも虐待もなくなるんです。
    だから、ぜひ皆さんの力を貸してほしいんです。

    学問というものがあります。僕らは学問を学んできました。では、学問というのは誰かに評価されるためのものだったんでしょうか? とんでもない間違いですね。学問っちゅうのは、社会の問題を解決するために人類が生み出したもんなんです。必死になって築き上げたもんなんです。

    じゃあ、教育ってなんでしょうか? 教育っていうのは失敗の避け方や責任の避け方っちゅう要領の生き方を教えてくれるhow toなのでしょうか? 全然違いますね。教育というものは死に至らない失敗を安全に経験させるためのものだったんです。

    でも、それがすっかりおかしくなってしまったんです。なぜかというと失敗をマイナスだと思っている大人がたくさんいたからです。その人たちが皆の可能性と自信を奪ってきたんです。

    自信を取り戻すためのとてもいい方法

    そんな自分たちの自信を取り戻すためのとてもいい方法、それは「やったことがないことをやってみる」ということです。
    やったことがないことをやってみるだけで小さな自信が湧いてきます。もちろん、やったことがないことなので、失敗もします。

    でも、その時に失敗した自分を、逃げた自分を、諦めた自分を責めないでください。へこまないでください。(中略)(そういう時は)「ただ今成長中」って言えばいいのです。そしたらプリっと一皮むけるんです。だから失敗した時はぜひ、「ただ今成長中」って言ってみてください。

    私たち皆、生まれて初めての1回きりの人生をぶっつけ本番で生きているのです。ぶっつけ本番だから失敗して当たり前です。(私なんて、失敗だらけです…)
    失敗はよりよくするためのデータだと思って乗り越えて欲しいのです。

    植松氏はご著書「NASAより宇宙に近い町工場」の中で次のように述べています。

    日本人の宇宙開発は、1955年、糸川英夫さんが片手で持てる小さなロケットを作ったところからスタートします。あまりにも小さいロケットだったので、「くだらない、こんなものを作って何になる」と言われていましたが、ずっとやり続けた結果、月まで探査機を送れるようになりました。
    (中略)
    どんなものも最初は小さくて、そして価値が分からないんです。世界で初めてのものを知っている人間はそれまでいないからです。世界初のものは、マーケットリサーチしたって答えなんて出るわけがありません。マーケットリサーチで得られるのは、すでにあるものの情報だけです。だから国家主導の世界初はこの世にないんです。世界初はすべて、個人が自腹でやってきました。

    この本をお読みになっているあなたも、個人の自腹という点では同じです。あなたも、これから先、世界を変える可能性があります。「そんなこと言ったって、一人じゃ何にもできないだろう」と思ったかたもいらっしゃるかもしれません。しかし、坂本龍馬は何人いましたか?一人ですよね。エジソンも一人です。歴史は、一人の人間が変えてきました。

    「いやあ、彼らは別格だよ。俺なんか普通だから無理、無理」と考えるのはとても簡単なことですが、それは美しい謙遜ではありませんね。楽をするための言い訳でしかありません。

    思うが招く

    もちろん、現時点では、ただ生きていくことだけでも大変な状況の方々も多くいることと思います。
    私も「ものみの塔によって苦しんでいる方へ」のページでも書きました通り、子どもの頃は「あと一日だけ生きてみよう」と自分に言い聞かせながらなんとか生きていた時期もありましたから、新たな挑戦をするなんていうのは夢のような話でした。
    そのような時には、自分自身に対して、また人に対して「どうせ無理」という言葉を使わない、と決めるだけでも人生が断然違ってくると思います。

    植松氏は、小さい頃から飛行機やロケットが好きでしたが、やったことがない人は「できるわけない」と散々言いました。でも彼の母は「思うが招く」と教えてくれ、思い続けたらロケットを開発できるようなりました。「そしてこれから先、僕らがやっていくべき事は、できない理由を探すことではない、できる理由を考えることです。ただそれだけで世界はあっという間に良くなるんです。」と語ります。

    私は幼少期より、「そんなことやっても時間の無駄!どうせもうすぐハルマゲドンが来るんだから」「そんなことするヒマがあったら奉仕に行きなさい」といった言葉をかけられ様々なチャンスを与えられず、虐待を受け、自分で物事を考えない、動かない人間となっていきました。
    でも長い年月をかけ、徐々に動けるようになり(今でも思考や動作は遅いですが)、また「より良い人生を歩むヒントをくれた本」のコーナーでもご紹介しています、「心の壁の壊し方」を読んで、少しずつですが心の壁を壊していくことができました。

    二つの夢

    また今では、子どもの人権を守るための夢と、保育の仕事での夢があります。
    どちらの夢も、3年前までの自分では全く想像ができなかったことです。

    私は保育関係の仕事をしていますが、日本の保育と育児がより楽しくなるように、少し珍しい内容の仕事をしています。
    近い将来、保育や育児の現場で、今私が行なっていることがスタンダードになればいいなという夢を持って、個人事業で行なっています。

    これはとてもお世話になっていた、ある保護者の方からの提案から始まった仕事でした。これからもう一つの仕事をしようと思っていたので「もう保育業は辞めようと思います。今までお世話になりました」とご挨拶した時に、「どうか辞めないでほしい。このような新しい形の保育業を、ぜひ始めてほしい。日本中に、必要としている方々がいるはずだから」と提案され、スタートさせました。(それでも、もう一つの仕事ももうすぐ開始します)

    あの時に私を引き留めてくれ、新しい形の仕事を提案してくださった保護者の方には心から感謝しております。おかげさまで、多くの親御さんにこの形の保育業が必要だったことを知り、感謝されるようになりました。

    それでもまだ軌道には乗らず、アルバイトをしながらの生活ですが、工夫をしながら進めて行こうと思っています。
    歌は音痴だし、手先は不器用で工作はひどい仕上がり(過去のクリスマスツリーの記事をご参照ください…(^^ゞ)…といった向上の余地が非常にある私ですが、それでも小さな子どもたちが「真彩さんに会いたい」と言って、会えない日も毎日私の事を待っていてくれる、会えば歓喜の声を上げて抱き付いてきてくれる、そんな幸せな毎日を過ごしています。

    子どもたちが自信を持ち新たな挑戦に取り組むようになるために

    私は今でも苦手なことがたくさんあるし、辛い経験をしてきたからこそ、子どもたちの気持ちがよく分かります。

    だから絶対に「どうせ無理」なんて心無い言葉をかけることもないし、できなかったからといって責めることもありません。ただその努力を褒め、できた時には一緒に喜びます。そうすると子どもたちは自信を持ち、新たな挑戦に取り組みます。
    少し年齢の大きな子どもになると、私にいろいろなやり方や勉強も教えてくれるので、それが彼ら自身の喜び、自信につながっていきます。(これは、ごく一般的な学歴の親御さんが子どもたちを東大に入れた際のやり方だそうです)

    苦手なことはカバーし合い、自分の得意なことで自分も人も助ける、そしてお互いに自信や可能性を高め合える、そんな世の中になったら本当に素敵だと思います。

  • 敵を味方にするということ

    敵を味方にするということ

    私は普段あまりスポーツ番組は観ないのですが、サッカーJ2横浜FCの三浦知良選手の、野球評論家の張本氏に対する素晴らしい対応に感動しましたので、ちょっと前の出来事ですが、こちらでご紹介させていただきます。

    SYDNEY, AUSTRALIA - NOVEMBER 16: (SOCCER INTERNATIONAL MAGAZINE OUT) Kazuyoshi Miura of Japan and Sydney FC poses for a portrait at Star City Casino November 16, 2005 in Sydney, Australia. (Photo by Adam Pretty/Getty Images)
    SYDNEY, AUSTRALIA – NOVEMBER 16: (SOCCER INTERNATIONAL MAGAZINE OUT) Kazuyoshi Miura of Japan and Sydney FC poses for a portrait at Star City Casino November 16, 2005 in Sydney, Australia. (Photo by Adam Pretty/Getty Images)

    張本氏は4月12日放送のTBS系『サンデーモーニング』の放送中、48歳になってもなお現役を続けるサッカーJ2横浜FCの三浦知良選手(通称:カズ)に「(J2は)野球で言えば2軍のようなもの。もうお辞めなさい」と引退勧告とも取れる発言をしました。
    これに対し、案の定、ネットなどでは「老害」「あなたが辞めるべき」との批判的な声が続出しました。

    こうした中、カズはなんてコメントするんだろうと思っていたら、こんな素敵な対応をしました。

    これについてカズは、憤るどころか感謝の言葉を並べた。「『もっと活躍しろ』って言われているんだなと思う。『これなら引退しなくていいって、オレに言わせてみろ』ってことだと思う」と前を向いた。
    昔から、巨人ファンを公言するカズ。張本氏が巨人入団したころも、テレビにかじりついて応援していたという。「長島さんが引退して、張本さんが巨人にきた。たしか背番号は10。王さんと組んで活躍したことは今でも覚えているし、憧れていた。そんな方に言われて光栄です。激励だと思って、これからもがんばります」と、力強く話した。
    (カズ、張本発言に感謝「『もっと活躍しろ』って言われているんだなと」 – サッカー – SANSPO.COM(サンスポ) 2015/04/14 11:59)

    こんなふうに返されたら、批判した人も脱帽です。
    結果、張本氏はカズの対応を絶賛。「会ったことはありませんが食事をごちそうしたい」と“ラブコール”を送っています。

    そんなふうに言われたら、普通なら反論するでしょう。それを三浦選手は「言われるのは光栄。激励だと思って頑張る」と、さらっとかわした。なかなかそんなコメントはできませんよ。日本男児の美徳。あのコメントで、言った私の方が恥ずかしい気持ちになってますから。
    (張本氏 カズ最年長弾を称賛「またやったか!最後まで応援したい」 ― スポニチ Sponichi Annex サッカー 2015/04/20)

    普通なら、人に批判されたら「なにを!」と憤り反論したくなるところを、こうした大人の対応をしたことで、誰も傷つかない、批判した人がちょっぴり恥ずかしくなる、そして、批判した人が味方になるような状況を産んだのです。

    以前、当ブログで「世の中への貯金」というエントリを書きました。
    ここで書いた、”何を得て、何を失ったか”ということを今回のカズの件で考えると、感情的に反論した場合は、言い返してやったという小さな満足感を得て、低俗な罵り合いをする人という印象をもたれる(=信用を失う)という結果になったことでしょう。

    反対に、今回カズが得たもの・失ったものはなんだったのかは、もう一目瞭然です。感情的に反論した場合に対して、今回カズが取った言動によって得たものの大きさは計り知れないと思います。

    「世の中への貯金」の大きな一つの例だと思いますので、私も心にいつまでも留めておきたい事柄です。
    また、素直にカズの対応に敬服し、応援の言葉を贈った張本氏も素敵だったと思います。多くの人々を引き付ける魅力を持つ方々に共通しているのは、このように器が大きいということだと思います。

    目を覚まして欲しいと思っている方への説得においても、この器の大きさということと、敵を味方にするということを意識して行いたいと思いました。

  • 豊かになること、技術が発展するということ

    豊かになること、技術が発展するということ

    今回は、「豊かになること、技術が発展するということ」というテーマで書きたいと思います。

    技術がどんどん進歩し、便利なものがあふれている日本の現状に対して、「贅沢ではないか。これ以上技術を進歩させて意味があるのか」と感じる方もいらっしゃるかもしれません。

    段差を超えられる車いす

    先日、WBSの「トレンドたまご」のコーナーで、段差を超えられる車いすが芝浦工業大学の学生たちによって開発され、今後製品化を目指している、と紹介されていました。


    私も過去に、短期間ではありますが、車いすを使用していた時期があるので、大変さはよく分かります。

    車いすを使用している仲間の学生が段差などで苦労をしているのを見て作ったという、学生たちの温かい想いが込められているこの車いすが、ぜひとも早急に製品化され、多くの車いす利用者の方々の喜びにつながればと願っています。

    聴覚障がい者の外出に影響を与えたもの

    古い記事ですが、携帯メールの出現によって、聴覚障がい者の外出に与えた影響がこちらの記事の後半で紹介されています。

    携帯電話のメールがなかった頃は、出先での連絡手段が絶たれてしまうため「待ち合わせに急な変更があっても連絡できず、2-3時間待ってしまうこともあった」と来店していた女性ユーザーは昔を振り返る。そうしたトラブルを解消してくれる携帯電話のメールサービスは、聴覚障害者にとっての必需品だ。

    たしかに、耳の不自由な方々にとっては、携帯メールはなくてはならないものだと思います(今はLINEなのでしょうか?)し、携帯電話のテレビ電話機能を使った手話サービスも開発されれば、耳の不自由な方がまた一つ自由を得られるようになると思います。そのような機能を、切実に必要とされている方々がいらっしゃるのです。

    豊かになる意味

    有名ブロガーであるちきりんさんが、豊かになる意味について核心を突く記事を書かれていました。

    ちきりんのブログ「豊かになる意味」

    経済発展して何の意味があるのか、という問い。人は本当に経済発展と共に幸せになっているのか?という問い。便利なものはなかったけれど、昔の方が幸せだったのではないかという疑問。
    「これらの疑問や問いは、強者が感じるものなのだ」と気がつきました。階段がなんなく上れて、車やバイクで大混雑している街でも移動に困らない、そういう人だから「贅沢では?」などと思うのだということを理解したのです。

    私もまさしく、この通りだと思います。

    私も過去に入院していた時には、病院の様々な最新の機器にも助けられましたし、退院してからも、スーパーの宅配サービスやネット通販、外出先で体調が悪化した時にはデパートの車いす貸出しなどの様々なサービスによっても大変助けられました。
    こういった恩恵を受けることができたのも、日本の経済や技術が進歩したおかげだからこそだと思います。

    今後高齢化が進み、ますます社会的弱者が増えていく日本において、さらなる技術の発展は必要なことだと感じています。
    そして、そのような技術を開発してくださっている方々には感謝の気持ちでいっぱいです。

  • 言葉の持つ力と見抜く力

    言葉の持つ力と見抜く力

    人を傷つける言葉
    今回は、言葉の持つ力と見抜く力について書きたいと思います。

    日々の人間関係の中でもネットの世界でも、悪口を言う人っていますよね。
    悪口を言い合って盛り上がっている人たちもいます。
    でも、あなたの前で人の悪口を言っている人は、あなたがいない時は、あなたの悪口を言っていると思います。
    同じように、他人の個人的なことを平気で教えてくれるような人は、あなたがいない時には、あなたの個人的なことを他の誰かに漏らしているものだと思います。

    悪口をいつも言っている人は波動が悪いので、近づかないほうが賢明です。
    たとえ悪口を言われたとしても、私はその人の悪口を極力言わないようにしています。
    「言われっぱなしで損じゃないか」と思うかもしれませんが、自分も悪口を言ってしまうと、自分自身が言葉の毒に侵されてしまいます。

    悪口を言うことによって毒を吐く人は、当人は悪口を言っている気がないのです。
    それ位、毒に麻痺してしまっているのです。
    そして、そのような悪い波動に集まってくる人たちが、一緒に悪口を言っているのも見ることがあります。
    そういう人たちがいたら、あなたはどうかそっとそこから逃げてくださいね。
    その悪い波動に浸っていると、あなたの運勢まで悪くなってしまいます。

    ある実業家の方は、このように述べています。

    いっつも悪口を言っている人、それから妬み心の強い人、それから恨みっぽい人、こういう人は犯罪でも犯すよ。人を殺すような人間を見ていると、いつも人の悪口を言っているの。それから妬むの。
    この前テレビでやっていた人はね、「3年前にこんなことがあって…」って3年前のことを覚えていて、殺しに行ったとか言うんだよね。それってもう狂っているよ。
    妬み心の強い人、それからやたら執念深い人には、近づかない方がいいよ。
    で、そういうところからサーッと逃れると、そうじゃない仲間の集団があるから。
    悪口を言うような人を相手にしちゃだめだよ。
    相手にすると、向こうの毒とこっちの毒が両方が毒を出し合っちゃうんだよ。
    相手にしなきゃ、自分の毒は自分の周りに降りかかるだけなんだよ。
    これからいろんな犯罪が起きた時、ずーっと聞いててみな。必ず、恨み言、悪口、やたら執念深い。
    そういう人がいたら逃げるんだよ。
    で、大人だからね、スーッと消えればいいの。
    直してあげようとかって思っちゃだめだよ。
    絶対直らないからね。

    会社同士でもそう、普通の人間関係でもそう、大したことのない人間が一番やることが恨み言。
    それよりも、自分がお世話になったこととか、ありがたかったこと、「本当に助かるねえ」とか、「あの人には助けてもらったんだ」とかって言うような人は伸びるの。

    自分が破滅して、波動を悪くする人の特徴は、自分がやってあげたことを言いまくるの。
    「こんなに私はしてあげたのに」って。
    でも、人生生きていればお互いが助け合って生きているんだよね。
    それなのに、やってあげたことばっかしをずーっと言うような人間って、まともな人間にはいないよ。
    「私ばっかし助けてきました」みたいのは、まずないよ。
    本当に助けるような人だったら、人にやってやったことを覚えてないもんだよ。
    「いついつこれをやってあげたのに」とかって覚えていること自体がおかしいよ。
    だから、よーくこうやって見抜いていないと、「私はあの人にこうやってやったの、ああやってやったの」って言うと、なんかいい人のように思うけど、本当にいい人はそんなこと言わないよ。ただ黙ってやってあげるだけだよ。

    私はこれまでたくさんの方々にお会いして、お話を聞いたり、自分が立ち直るのに役に立った情報をお伝えしたり、ヒーリングをしたりしてきました。
    中には、残念ながら私の真意が伝わらなかったことも何回かありました。
    そのような時には、「自分の伝え方が悪かったのか」と非常に落ち込みました。

    でも、「すべては、必要・必然・ベスト」という言葉も信じています。
    どのようなきっかけであれ、ご縁をいただいたということは、お互いにとって意味のあることである、今の段階では、まだそれらの方々の心にお伝えしたことが届いていなくても、いつかきっと理解していただける日が来ると信じています。

    あ、ここで「こんなことをしたのに」って言ってる時点で私自身まだまだ未熟ですね…。

  • 福相にする方法

    福相にする方法

    世の中には、こちらの気持ちまで重くなってしまうような、いつも暗い顔をしている人と、こちらにも笑顔が伝染するような、明るい笑顔の、人も運も引き寄せる福相の人っていますよね。
    どうせなら福相になって楽しく毎日を過ごしたいと思いますが、斎藤一人氏によると、顔を福相にする簡単な方法があるそうです。

    一つ目は、顔につやをだすという方法です。

    幸せと『つや』って、なんの関係があるんだろうってふつう思うよね。
    でもね、幸せになるすごい法則なんだよ。
    ”人は見た目どおりにしかならない”っていうすごい簡単なことなんだよ。
    どんなにがんばっても顔が不幸せなままで幸せにはなれないんだよ。
    逆に、つやつやした福相の顔で、『私、不幸なんです』って言う人はいないんだよ。
    だから、幸せになりたいなら、見た目から幸せな福相のつやを出すことだよ。

    クリームを塗って、つやを出す。とっても簡単ですね(*^_^*)
    顔と髪と靴につやを出すことがとても大切だそうです。

    カサカサの顔では、疲れて見えるし、年よりも老けて見えてしまいます。
    逆に、つや顔にすると生き生きとして見えるので、鏡を見た時に嬉しくなって、明るい気分になれますよね。
    そして、つやのある笑顔の人には、周りの人も声をかけやすく、たくさんのいいことを引き寄せます。

    「あの人すごいオーラだね」とか言いますよね。でも、オーラって実際には見えない人のほうが多いですよね。それが、オーラが大きく輝いているように見えるのは、髪や顔や全身がつやつやと輝いているからだそうです。

    ところで、男性は脂性というイメージがあるけれど、カサついた肌の男性もけっこういます。それになんといっても脂ぎっているのと福相のつやとは全然違います。
    男性のカサついた肌というのも、疲れていて、なんだか精気がなさそう。自信がなさそうにも見えてしまいます。仕事も人生も昇り調子にするためには、福相のつやを出すことが絶対ですよ。
    それと、靴が汚れている人は先祖の加護がなく、出世の見込みがない、ちょっぴり残念な人です。もし、結婚を考えたり、お付き合いを始めるときには、相手の靴は要チェックですよ!!もちろん選ぶのであれば、顔にも髪にも靴にもつやのある、福の神のような人を選びましょう!!

    そして、二つめは魔法の言葉を唱えることです。

    『あなたにすべての良きことが雪崩(なだれ)のごとく起きます』。これを心の中で唱えるんだよ。すれ違う人、テレビに出てきた人でもいい、これを一日100人の人に言う。これを千日続ける。一日100人千日修行だよ。
    これを楽しんでやるんだよ。
    福相ってさ、豊かそうな顔のことを言うんだよね。まず、顔につやを出すのがその一つだよね。それともう一つ、中からにじみ出てくる豊かさがあるんだよ。これは、人の幸せを願えるようになると、中から、豊かさがにじみ出て来るんだ。だから、『あなたにすべての良きことが雪崩のごとく起きます』って、これを言ってると、幸せの福相にますます磨きがかかるんだよ。福相に磨きがかかれば当然、ますます幸せを引き寄せるようになるよ。

    できない日があっても、大丈夫です。やろうと決めて、心がけるだけでも全然違います。
    一日100人というと、大変そうなイメージがありますが、信号待ちをしている時や、満員電車の中、会社の中など、たくさん人がいる時には、まとめてできてしまいます。「ここにいる人みんなに、すべての良きことが雪崩のごとく起きます」と心の中で唱えればいいのです。そして、すれ違う人一人一人にも言っていると、あっという間に100人です。
    あっという間に、自分が今日出会える人の幸せを願えるんです。

    100人修行をしていると、自分の考え方も、すっごいハッピーになります。
    たとえば、もう少しで渡れる信号が赤になってしまっても、がっかりするどころか、むしろ超ラッキーです。通勤している人なら、電車待ちも楽しいですよね。大きな会社に勤めている人だったら、社員食堂が混んでたりしたら、もうイライラどころかワクワクですね。一度でたくさんの人の幸せが願えちゃうんですから。
    顔も自然と笑顔になってしまうんです。
    不思議なことに、「なんか苦手だな」と思う人がやさしくなったり、急に異動が決まったりで、あなたの前からいなくなったりします。
    もちろん、いなくなることを願ってこの言葉を言うわけではありませんよ。
    ただ、人の幸せを願いだすと、自分の人相はもちろん、自分の波動が変わって、不思議なことが起きますよ、ということです。
    100人修行って不思議です。言っているだけで心もフワッと気持ちいいし、笑顔も増えて、だんだん福相に磨きがかかってきます。
    そうすると、不思議と、いいことやうれしいこと、楽しいことがどんどん増えてきます。100人どころか、もっともっと言いたいなという豊かな気持ちになりますよ。
    千日続けると、唱えることがすっかりクセになります。ちょっと暗い顔の人や疲れた顔の人がいると、「あれ?」と思った瞬間、『あなたにすべての良きことが雪崩のごとく起きます』って唱えていますから(笑)。

    私はこれらのことを知ってから、つやと言葉の両方を実践するように心掛けています。
    おかげで、満員電車や信号待ちも楽しい時間になりました。
    これからどんどん福相になっていけたらいいなと思います。
    そして、福相の人たちが周りにどんどん増えていったら、とっても素敵なことだと思います。