川島真彩の幸せの部屋

「幸せは全て自分の心から生まれる」 ~元JW(エホバの証人)2世からのメッセージ

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エホバの証人2世の体験談

2世の体験談 (過酷な内容が含まれます。閲覧にはご注意ください)

ものみの塔協会は、1964年から長い間にわたり、信者の子どもたちにムチなどの体罰を行うよう指導してきました。それは大会や集会の講演でも推奨していましたし、研究司会者が研究生へ教える際にも、鞭棒で叩く重要性を強調していました。その詳細はサイト「昼寝するぶた」に載せられています。
また、ものみの塔の指導してきた「子どもの訓練」についての思考や問題点は、習慣と信条 – 子どもの訓練 | エホバの証人研究にわかりやすくまとめられております。

ものみの塔の指導による、人としての尊厳を踏みにじる体罰を受けた被害者の中には、「まるで強姦されているかのような、言葉にできないほどの恐怖と苦しみ、屈辱でした。そのような行為を、熱心なエホバの証人になってしまった親からされてきました」と述べた方もいます。

1993年11月に広島で起きた虐待死事件( http://www.jwic.info/abuse.htm )以降、急にものみの塔の幹部は体罰を強要しなくなりましたが、それについての謝罪や訂正がなされることはなく、一部の信者の親が独自にやったことだと、無責任で反省のかけらもない主張をしています。
この事件は地元広島でも隠蔽されていたため、事件の起きた近隣の会衆の講演の紹介の言葉で、「世の親が最近子どもを虐待死させました」などと話されていました。

この事件以後数年、この悪しき伝統はローカルルールとして一部地域に残りました。

下記に、ものみの塔指導による様々な制約や虐待を受けて来られた方々や、信者を家族に持つ方の体験談をご紹介させていただきます。これらの体験談は、被害を受けた方々の氷山の一角に過ぎません。

地域や家庭によって細かい方針は異なるため、同じ2世であってもムチを全く受けずに育てられた方もいますし、ムチを受けた方でも、「正当な理由の鞭だったし、親には感謝している」と言うように、様々な意見があるのは事実です。
しかし、ものみの塔の指導の下、子どもの人権を踏みにじる理不尽なムチが行なわれてきたことも事実であり、子どもの心に深い傷を負わせてしまったことを悔やんでいる、1世の親たちもたくさんいらっしゃいます。

残念なことに、現在でも自分の子どもに対して、水面下でムチを行なっている親もいると聞いています。例えば、2017年1月にはエホバの証人の訪問を受けた家の方が、親からの虐待を受けていた子どもを保護した件を書いていらっしゃいます。(http://ameblo.jp/ailam08/entry-12238121420.html

広島での虐待死事件によって4歳で亡くなられた男の子のご冥福をお祈りしつつ、未だに水面下で行なわれている虐待が一日も早くなくなるよう、また、虐待を受けたことで心に傷を負った方々に、一日も早く心の平安が訪れますよう願っております。

また、エホバの証人の子どもたちが受けてきた人権侵害は、身体的虐待だけではありません。詳しくは「ものみの塔による子どもたちへの虐待・人権侵害について」のページをご覧ください。
ものみの塔聖書冊子協会の幹部からの指導によって現在も続いている、ものみの塔信者(エホバの証人)の子どもたちへの人権侵害行為が即刻中止されますよう、切に願います。

母がJWになってから始まった虐待

I.K.さん 20代男性 私の母は、私が幼稚園生だった時に、エホバの証人(以下JW)と、ものみの塔の書籍で研究するようになり、熱心な信者となりました。 そして、熱心なJWとなった母により、子どもである姉と私は、学校生活や普段の生活ががらりと変わることになりました。 2世であった方は同じような体験をされている方が多いと思うのですが、自分たちが体験したことをまとめてみます。 [学校編] ・校旗、国旗敬 ...

子ども時代の黒い記憶

rokusyoさん 30代男性 生い立ち 私の母がJWとなったのは、私が六才の時でした。 その日が来るまで母は本当に優しかったです。 私の誕生日には必ず大きなケーキを買ってきて祝ってくれたし、クリスマスには御馳走やプレゼントも用意してくれました。正月には母が調理した重箱入りの御節料理も必ずありました。 子供の日には立派な五月人形が床の間に飾られていて、家の外には鯉のぼりも揚げられていました。地元の ...

嫁がエホバの証人です

Yさん 30代男性  私はエホバの嫁の当時3歳の娘と2歳の息子への躾で悩みました。 私の親は保育士で、託児園などもしていました。 その経験もあり、また、バツイチということもあり、乳児や幼児の扱いについては、以前から少しは知識がありました。 私は、子供というものは言うことを聞けない、理解できないという事も考慮し、子供の目線にしゃがんできちんと教えます。 また、三回言い聞かせても止めない時には、お尻を ...

母はJWになってから、ミミズ腫れになる程のムチをするようになりました

プリンさん 30代女性 母がエホバの証人と研究を始めたのは私が低学年の時です。 司会者姉妹と研究をしているところに遭遇した記憶がないので、恐らく私が学校に行っている間に研究していたと思います。 研究を始めて早い段階で「ムチ」をするように言われたのではないでしょうか。 ちょっとしたことでムチをされ、今まで1度も子供を叩いたりしなかった母がいきなり何度も叩いたのですから私は恐怖のあまり「人殺しー」と叫 ...

体罰を受けて泣く赤ちゃんと、それを見て笑う冷酷な司会者

やせ蛙さん 30代男性 僕が会衆で見たこと…あれはまだ書籍研究があった頃。 ある研究生さんが、1歳になったばかりの子をおんぶひもで背中に背負って集会に来ていました。 その日は初夏の蒸し暑い日で、その子はむずかり始めました。 それを見た司会者は、懲らしめをするよう催促。 その研究生さんは背中に背負った赤ちゃんにおしゃもじでペシペシ…当然ただむずかっていただけの赤ちゃんは本格的にわんわん泣き出します。 ...

しつけの域をはるかに超えたむち

R.N.さん 20代男性 1990年代に育った2世です。母親が最初に始めて、現在では、僕以外の家族が現役JWです。 むちを積極的に受けた最後のほうの世代になります。 母親はそこそこ厳しかったので、むちは相当受けました。 態度が素直でない、泣き続けるなどの理由で追加制裁として50回されるようなこともありました。 馬乗りになってされて、むちの痛さより息が苦しくて泣きわめいていたこともあります。 当然す ...

理不尽なむちによる虐待

ミルラさん 30代女性 今では過去のこととして忘れ去られていますが、JWには昔、子どもにむちをすることが公然と勧められていたことがありました。1980年代以前のことです。王国会館には物置を兼ねた小さい部屋があり、訓練室と呼ばれ、竹の物差しが置いてありました。集会中、ぐずったり居眠りしたりすると連れていかれてむちされます。叩かれるピシッピシッ!という音と鳴き声がホールまで響く…集会中によくある出来事 ...

プライバシーがなく制限された日々

てるてる坊主さん 30代女性 私が小学校低学年の頃に、母はJWと出会い、次第にものみの塔にのめり込むようになりました。 そして、子供たちにも聖書を学ばせようと、「偉大な教え手」から研究が始まりました。 司会者は母です。 もし、あの時の司会者が母ではなく他の姉妹だったらと思うとゾッとします。もし他の姉妹だったら、母よりもJW歴が長いので、幼い私はきっと上手く洗脳されてしまって今の私はなかったと思うか ...

鞭と徹底した従順で心身が限界に…

るかさん 30代女性 私が2歳の頃に、母親がエホバの証人の訪問を受け、すぐに研究が始まりました。 そして、研究司会者よりすぐに子育てのアドバイスとして、組織の出している資料や周囲のエホバの証人の具体的な例を出して、懲らしめの鞭棒を用いるように伝えられ、母親はすぐにそれを実行しました。 そして、母親の友人になった女性信者から、「これが1番痛いから従順になるわよ。手で叩くと自分が痛いでしょ。これなら自 ...

子持ち世帯に冷たいものみの塔

Nさん 30代女性 私は一応現役の2世の者です。私が子どもの頃は、何かにつけてムチをされていました。 うちはまだましなほうでしたが、会衆内では特に体罰がひどい親たちがいて、集会中に居眠りをしたり、ぐずったりというほんのささいな理由だけで、赤ちゃんを含む、幼い子どもたちがトイレで容赦なくムチをされていました。 会衆内の年上の開拓者などによる圧力によって、また、しょっちゅう講演で子どもたちにムチをしな ...

このサイトについて

元エホバの証人(JW)2世です。2000年に脱会することができました。
現在は保育関係の仕事をしながら、病気も経験しつつも心穏やかな日々を送っています。
どんな過去があっても人は幸せになれる、ということを伝えていきたい、そして子どもたちの人権を踏みにじる行為を防ぐ力となりたいと思っています。
当サイトが、ものみの塔からの脱会と脱会後の助けになりましたら幸いです。

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