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  • また、お菓子を作ってみました。

    また、お菓子を作ってみました。

    立て続けに、お菓子を作ってみました。(まずい。このペースで作ってたら、横に大きくなってしまう…(>_<))
    子どもの頃、実家に『たのしいお菓子―ホームメイド』の本があり、私はその本の中にあった「レアヨーグルトケーキ」を何度か作ったことがあります。

    こちらの本は、ご著者で料理研究家の小林カツ代さん(故人です)の素朴なエッセイと共に、身近な材料でできるお菓子が紹介されており、読んでいると思わずお菓子を作りたくなる本です。(今アマゾンで見たら、プレミアム価格になっていました。きゃあ。)

    作ってみたレアヨーグルトケーキがこちら。
    オーブンがなくても、そして特別な材料がなくてもできてしまう、優しい味わいのケーキです。

    私は子どもの頃、「お母さんは入信前は、お菓子作りをしていたのかなあ…。」と思いながらこの本を眺めていました。
    甘いもの好きのお母さんと、いつか一緒にこのケーキを食べられる日が来たらと願っています。

  • 子ども時代にやってみたかったことをしました

    子ども時代にやってみたかったことをしました

    エホバの証人だった子ども時代、私は自由にお菓子を作ることはできませんでした。教義でお菓子作りが禁止されていたわけではありません。

    信者同士のお茶会やお食事会(「交わり」と呼びます)の時に、各自が食事やおやつを持ち寄ったりしていたのですが、その際に信者たちは手作りのお菓子を持っていくこともありました。そのような時にはうちでも作ることを許されたのですが、信者が集う場に行くこと自体が憂鬱だった私は、「交わり」のために自分で作ったことがあるかどうか記憶がありません。

    うちの場合は、宗教活動とそのための行動(この場合は「交わり」のためのお菓子作り)以外のことをすると、「そんな無駄なことをして!もうすぐハルマゲドンが来るのに、そんなことやっている場合ではないでしょ!」となる(毎回ではありません。母の機嫌次第です)ので、様々なことに罪悪感を持つようになっていきました。

    交わり以外の機会に何度かお菓子を作ったことはありましたが、母は「お菓子は、作るよりも買ったほうが早い。その分奉仕(布教活動)に行ける」という方針だったため、母の怒りに触れないかびくびくしながら作っており、次第に「心臓に悪いのでやめよう」という結論に達してやめました。

    私は小学校の図書館で、「わかったさん」シリーズのお菓子の本を読んだりしながら、「いつか自由にお菓子を作れるようになったらいいなあ…。」と思っていました。

    最近、久しぶりにわかったさんの本を読んで、「そういえば、もう自由の身なんだし(気が付くの遅い!!)、子ども時代に作ってみたかったものを作ろう!」と思い立ち、クレープを作りました。クックパッドのレシピも参考にしながら、生地には豆乳を使ってみました♪
    中身は生クリームとバナナです。

    そういえば、屋台のクレープを買ってもらうのも、夢だったなあ…。(屋台のクレープを食べたいという夢は、自分で働けるようになってから、叶えました(*^^*))

    それにしても、「わかったさん」シリーズの本、懐かしかった…(*^^*)
    姉妹篇の「こまったさん」シリーズも好きでした。

    作っていたら楽しくなってきたので、100均でチョコペンを買って、お絵かき…☆

    私は脱会して18年の年月が経っていますが、友人の観察によると、まだまだ教団の教えやトラウマに囚われているようなので、小さなことでも、本当に自分がやりたいことをできるようになっていきたいと思います。

  • 「ママの推しは教祖様」を読みました

    「ママの推しは教祖様」を読みました

    友人に勧められて、「ママの推しは教祖様」というコミックを読みました。
    ご著者「しまだ」さんの母親がある宗教(宗教を特定できないよう詳細は変えてあるらしいですが、エホバの証人ではないようです)にのめり込み、家族が振り回される話でした。

    画風が明るく、母親や宗教にツッコミを入れながら面白おかしく話が展開していくので、どんどん読み進めて行きましたが、最後の描き下ろしは急に画風が変わり、「実際はこうだったんだろうなあ…」と思わせるものでした。

    新興宗教にはまって、何もかも宗教のフィルターを通してでしか物事を見ることができなくなり、話が通じなくなってしまう母をフラットな視線で見つめ続け、大人となった現在、そのような子ども時代と向き合った「しまだ」さん。暗い過去に引っ張られたくないし、全部ひっくるめたら「ハチャメチャ」の一言で済む話、と書かれていましたが、一番最後のページで胸が締め付けられました。

    私は最初、無料のWEB版を試しに読んでみて、続きが気になったので本を購入しましたが、最後の描き下ろしあっての話だと思ったので、買って良かったです。

    無料のWeb版はこちら。7~10話と12話以降は書籍かKindleにだけ収録されています。

    「これこそが真実!」と心を揺さぶられて入信したり、心の安定を求めて入信したはずだったのに、周りを巻き込むようになり、なかなか宗教に興味を持たない娘に「目覚めてほしい!」と願い、果てには「教祖様」を否定する子どもに暴力…。
    私が入信していた宗教と重なることが多々ありました。また、熱くなりすぎて周りの人に自分が良いと思ったものを強引に勧めるくだりなどは、身につまされました。

    ご著者のツッコミが的を得ていて、共感できる場面が多くありましたが、特に下記の言葉が心に響きました。

    いわゆる「人生の教科書」って人それぞれだ
    誰だってリスペクトしてる人物の作品や言葉 思想の影響は受けるし 熱中しすぎて周りが見えなくなることだってよくある
    ママはそれがたまたま宗教で…それがカルトだっただけ
    何度も言うが宗教が悪いのではない
    ただ「それひとつだけ」を完全に正しいと思い込み 盲目的になることが何よりも恐ろしいと…ママを見る度に思う

    誰にでも、はまるものはあるし、好み、考え方は色々。時には意見の違いで議論になることだってある。でも、他の人の意見も聞けなかったり、自分とは違う価値観を認めないほど盲目的になってはいけないな、と思いました。
    「しまだ」さんは、「せめて自分はそうならないように気をつけたい… ただただ平和に楽しいのが一番いいと私は思うなあ…」と書かれていました。

    私も過去記事『私の好きな言葉「Respect for others」』でも書きました通り、人それぞれがお互いを尊重することが大事だと思います。

    こちらの記事も是非読んでみてください。京都のお坊さんが日本人の宗教観と共に、人それぞれがお互いを尊重することが大事だと語っております。

    最近、宗教体験に関するマンガが次々と出版されていますが、このようなマンガは他の宗教に入信されていた方の体験を知ることができるだけではなく、自分の考え方、言動を振り返ったり、過去と向き合うこと、これからを考えることにも役に立ってくれていると感じています。

  • 最近読んで良かった本

    最近読んで良かった本

    カルト宗教、信じてました。

    5月1日に発売された、たもさんの『カルト宗教、信じてました。』。読んで良かったです。

    エホバとは無関係の方々にもぜひ読んでもらいたいコミックでした。軽快なタッチの絵ですが、ご著者の半生は読む人に大切なメッセージを伝えてくれると思います。

    なぜエホバの証人が「子どもを殺す宗教」と言われることがあるのか、理由が分かると思います。

    以下、他に最近読んで良かった本のご紹介です。(あくまでも私の好みです)

    好奇心を“天職”に変える空想教室

    小学生から大人まで、幅広い世代の方々にお薦めです。

    北海道の田舎の会社で宇宙開発をしている植松努氏。彼は周りから「無理だ」と言われても、失敗を繰り返しながらも工夫を続け、民間での宇宙開発に挑み続けています。

    植松氏の言葉は純朴なのですが、自分の可能性に挑戦するきっかけを与えてくれる、そして壁に突き当たった時に力をくれるような本です。

    「やったことがないことを、やりたがる人。あきらめない人。そして工夫をする人。そういう人がもっと増えればいい。(中略)夢と希望はただ奪わなければいいだけです。あきらめ方を教えなければいいだけです。みなさんがそうするだけで、10年後の社会は変わります」

    なお、植松氏については以下の過去記事でご紹介しておりますので、併せてご覧いただけましたら幸いです。

    新津春子。世界一のおそうじマイスター!

    羽田空港は2013年、2014年、2016年、2017年に「世界で最も清潔な空港」に選ばれましたが、その背後には新津春子さんの大きな貢献があります。

    清掃という仕事に全身全霊で向き合い続け、「国宝級の清掃職人」とまで言われるようになった彼女は、中国生まれで父親は中国残留孤児の日本人、母親は中国人です。一家で日本へ「帰国」した17歳当時は全く日本語が話せず、日本語が話せなくても雇ってもらえたアルバイトは清掃の仕事だけで、それが清掃の仕事の始まりでした。

    中国では日本人ということでいじめを受け、日本では中国人として差別を受けていた新津さん。こちらの本では、清掃業や女性に対する偏見に立ち向かってきた彼女の半生が描かれており、その仕事に対する真剣な姿勢に思わず背筋が伸びました。

    清掃の世界の奥深さも知ることができたと同時に、彼女の細やかな心配りに心が温かくなりました。児童書なので文字が大きめで、小学校高学年向けにふりがな付きなので読みやすいです。大人が読んでも心に響く内容だと思います。(NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』のこちらのページで、動画を観ることができます。)

    番外編

    よく、寝る前には美しいものを見たり、楽しいことを考えながら眠りに就くと良いと言われていますが、私がよく見ているのは富井義夫氏の世界遺産の写真集です。富井氏の親しみやすい解説と共に紹介されている、空気感あふれる写真を眺めていると、自分の中にスペースが作られていく気がします。
    100キロを超える荷物を抱えて移動をされながらの撮影だそうですが、連綿と続く人類の歴史を自宅に居ながらにして感じさせていただき、感謝感謝です。

    同じく、写真家の三井 昌志氏のサイト『たびそら』も好きです。

  • 「良いたより」って何?自分の頭で考えることの重要性

    「良いたより」って何?自分の頭で考えることの重要性

    勧誘活動での手法

    エホバの証人だった子どもの頃、信者である母や周りの信者たちに連れられて、勧誘活動に参加させられていました。

    エホバの証人たちは勧誘活動のことを「伝道(活動)」とか「奉仕(活動)」とか「良いたよりを宣べ伝える業」などと呼びます。
    教団が定期的に発行している「ものみの塔」や「目ざめよ!」といった名前の雑誌などをカバンに入れ、暑い日も寒い日も、家から家へと回っていました。(最近は信者の方々は電子機器も用いての勧誘活動をされているようです)

    まずは「お庭に咲いている花が綺麗ですね」とか褒めたり、その時話題になっているニュースについて触れて、今の時代がどれほど危険や恐ろしいものであふれているかを強調したりしてから、徐々にものみの塔の教えのほうへ話題を持っていきます。

    もちろん、違う話題の場合もありますが、「最近はどうなのかな?」と思って先ほどものみの塔の公式ホームページを見てみましたが、今も手法は同じのようで、

    恐ろしい​事​が​毎日​の​よう​に​起き​て​い​ます。この​世​の​ありさま​は​確か​に​変わり​つつ​あり​ます。悪化​し​て​いる​の​です。
    (ものみの塔 オンライン・ライブラリーより引用)

    といった言葉が並べられていました。
    そうやって人々の恐怖心を煽ってから、「病気​や,飢え,犯罪,戦争,あらゆる​虐げ​が​神​の​王国​に​よっ​て​一掃​さ​れます!」という「良いたより」を伝えるのです。
    また、幸せな家庭生活を送る秘訣、健康やお金についてなど、人々の興味を惹く話題から入ることもあります。

    人殺しが大好きなエホバを好きになれなかった

    「本当に私が行なっているのは、『良いたより』を宣べ伝えていることになるのかなぁ?『幸せな家庭を築く秘訣を教えます』とか言って勧誘しても、エホバの証人になってから家庭崩壊している家族が周りにたくさんあるし。
    ものみの塔誌や目覚めよ誌は、毎号様々な内容を取り上げているけど、そうやって『真理を知らない』方々の興味を惹きつけてから、結局一番最後に教え込むことは『あなたもエホバの証人にならないと、まもなく来るハルマゲドンで滅ぼされますよ。』ということだよなあ…」
    と子どもの頃から心を痛めていました。

    ものみの塔の教えでは、教団の信者=エホバの証人になって、勧誘活動を行って教団の教えを守っていたら、ハルマゲドンで生き残ることができ、エホバの証人だけしかいない不老不死の世界(「地上の楽園」という言い方をします)で毎日エホバを賛美しながら永遠に生きることができる、ということになっています。

    そのような生活に魅力を感じる人たちもいるかもしれませんが、私は人殺しが大好きなエホバのことを、心の底から「大好き!」とは思えませんでしたし、意味不明のたくさんの規則を作り上げ、主に子どもたちを苦しめてきた教団の教えを、この先も永遠に守り続け、また新たに生まれてくる子どもたちにも強制しなければいけないということは、私の良心に反するものでした。

    勧誘活動に参加しない、という選択肢は、エホバの証人2世の私にはなかったので(詳しくは過去記事「なぜ私はものみの塔を脱会するのに約10年を要したのか」をご参照ください)、心の痛みに耐えつつ家々を回っていました。

    自分の頭で本当にこれは正しいのかを考えることが大事

    ものみの塔を脱会してしばらくしてから読んだある本で、「どんな宗教を信じてもいいけど、人を脅す宗教は偽物ですよ。神は人を脅すようなことはしませんよ。」という言葉と出会った時に、「ああ、やっぱりそうだよね…」と感じました。

    私は生まれてから脱会するまで、数万回、エホバの証人の勧誘活動は「良いたより」を伝えることであるという内容を聞かされ言わされ、また、文字として出版物の文章を読まされたりしてきましたので、まるで「良いたより」という言葉がエホバの証人の勧誘活動の代名詞のように染み付いてしまっていました。
    言葉の持つ力は本当に大きなものだと思います。

    ものみの塔の教えに限らず、「あれ?なんかおかしいな」と思った時には、「本当にそうなのかな」ときちんと考えるようにしていきたいと思います。

    ハルマゲドンで滅ぼされるということの補足

    ※ 以下、2018年4月26日追記
    なお、厳密に言うと、楽園に入ることができるのは「エホバの証人だけではない」ということになっています。楽園では過去に亡くなったエホバの証人が復活するとされていますが、エホバの勧誘を受ける機会がないままハルマゲドンが来る前に亡くなった人も楽園で復活できることになっています。
    ただし、復活した人たちも一定期間後に裁きを受けることになりその時に滅ぼされる人たちもいるので、復活できたからといって決して油断はできない内容だったかと思いますが、教義はしばしば変更されますので、今頃は多少違う可能性もありますが…。

    また、一度エホバの証人になった人が信者を辞めれば、間違いなくハルマゲドンで滅ぼされて死ぬことになる、ただしエホバの証人になったからといって必ずしもハルマゲドンを生き残ることを保証されるわけではない、といったマイナス面の教義は、勧誘対象者には初期の段階では伝えません。

  • リーダーシップ体験はリーダーだけに必要な経験ではない

    リーダーシップ体験はリーダーだけに必要な経験ではない

    欧米では大学入試や採用面接でリーダーシップ体験を聞かれ、リーダーシップを発揮した経験があるかどうかが重視されるそうですが、そのことを知った時、私は「リーダーシップ体験を重視するのはなぜ?」「リーダーになりたい人だけが経験していればいいのでは?」という疑問を抱きました。

    その疑問に関して、ほどなくして私が好きなブロガーのちきりんさんの記事で、以下のような考えを知ることができました。(7年ほど前の記事ですが、今でも通用する内容だと思います)

    この記事の中で言われているように、リーダーシップ体験がまったくないメンバーとリーダー体験がある1人のリーダーというチームと、全員がリーダーシップ体験がありリーダーとして苦労した経験を持っているメンバーで構成されるチームとでは、そのチームとしてのパフォーマンスには大きな差がつくのが想像できます。
    ましてや、前者のチームでリーダーシップ体験がないメンバーの声が大きかったりすると、どんなことが起こるか、、、前者のチームリーダーのご苦労は大変なものとなることでしょう。

    また、ちきりんさんの記事に、忘年会の幹事さんも同じような苦労を経験するよねってありますが、私自身の行動を振り返って反省をしました。
    今後は、私もそういった場に参加する際には、自分の事情だけで発言・行動せず、幹事さんのご苦労をできるだけ想像できるようにならなければと思いました。

    私も積極的にリーダーシップ体験を積みたいと思いつつ、現在はリーダーシップを発揮する経験を積める環境にないのですが、まずはイベントなどの幹事さんのご苦労を想像できるようになるところから始めたいと思います。

  • 「カルト宗教信じてました。」が出版されます

    「カルト宗教信じてました。」が出版されます

    元エホバの証人2世の「たもさん」のコミックエッセイ『カルト宗教信じてました。 「エホバの証人2世」の私が25年間の信仰を捨てた理由』が5月1日に発売されます。

    アマゾンと楽天ブックスで予約を受け付けているそうです。
    たもさんのブログでも書かれておりますが、Kindleなどの電子版も出版予定とのことです。これで現役の親に隠れてこっそり読むことがしやすくなりますね。

    ご著者のブログ「たもさんのカルトざんまい」はこちらです。

  • 勇気ある撤退 ~ サンクコストにとらわれないで

    勇気ある撤退 ~ サンクコストにとらわれないで

    過去記事「なぜ私はものみの塔を脱会するのに約10年を要したのか」で、私がエホバの証人を辞める(ものみの塔を脱会する)のに長い年月がかかってしまった要因を4つ挙げましたが、もう一つの要因を思い出しました。

    私は、長い間ものみの塔に対して疑念を持ちつつも「万一、教団の言っていることが本当だったとしたら、私はハルマゲドンで滅ぼされてしまう」という恐怖心とともに、

    「今脱会してしまったら、これまで教団のために費やしてきた多大な時間や労力、犠牲がすべて無駄になってしまう。教団の言っているようにハルマゲドンが本当に起こって私が助かるかもしれないし。」

    という思いがなかなか捨てられず、脱会までには長い年月を要しました。

    このように、「ここまで頑張ったのに今さらやめるのはもったいない」という心理状況。ものみの塔脱会に限らず、生活のあらゆるところで起こるかと思いますが、経済学や経営学ではサンクコスト効果と呼ぶそうです。

    【サンクコスト】
    すでに支出され、どのような意思決定をしても回収できない費用のこと。埋没費用。
    [補説]それまでに費やした資金や労力、時間を惜しんで事業を継続すると、損失が拡大するおそれがあることから、意思決定に際して、サンクコストは無視するのが合理的とされる。
    デジタル大辞泉

    参考記事:(ネットで見つけた、エホバの証人とは無関係の方の記事です)

    過去に払ってきたサンクコストをもったいないからと、自分の将来を困難に縛り付けてしまうより、サンクコストを捨てる勇気ある撤退を決断できたからこそ、今の穏やかな生活を得ることができたのだと思います。

    JWに関すること以外にも、自分の将来を縛るサンクコスト、色々な場面でありそうです。(飽きるのが早い私は、けっこう色々辞めていますが…(^^;)

  • いま、ここを真剣に生きる ~「嫌われる勇気」を読んで

    いま、ここを真剣に生きる ~「嫌われる勇気」を読んで

    以前から読もうと思っていた「嫌われる勇気」を、SAKURAさんに勧められてついに読みました。

    この本の中で、特に心に響いたのは以下の点です。

    • 自らの「不幸」を特別であるための武器として使わないこと
    • 自らの生について、自分にできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」。その一方で、その選択について他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、自分にはどうにもできない。
    • どこまでが自分の課題で、どこからが他者の課題なのか、冷静に線引きをする。そして他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない。

    本の最後の部分に書かれていたように、過去も未来も見えなくなるくらい、「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当て、いまできることを真剣かつ丁寧にやっていこうと思います。

  • 「できるだけ死なないようにがんばる」

    「できるだけ死なないようにがんばる」

    今まで様々な本から、心に響いた格言などをメモしてきましたが、自分のオリジナルの言葉で、長く自分に言い聞かせてきた言葉は、「できるだけ死なないようにがんばる」です。人に見られてはまずいので、紙に書いたことはありませんが。また、この言葉はつぶやいてみても明るい気持ちにはならないので、過去の私のように座右の銘にすることはお薦めできませんが…。

    思えば、ものみの搭の教義によって常に死を意識させられて生活していました。
    ものみの搭の出版物には、迫害されても教義を捨てずに拷問を受けたり殺された信者たちに関する記事や、輸血を拒否して亡くなった信者たちを「最後まで忠誠を保った」として称賛する記事が掲載されていて、子どもを含む信者たちには「エホバのため」には死をも厭わない、という姿勢を強要されていたのです。
    参考:輸血拒否ー子どもたち
    なお、この参考記事に掲載されている、輸血拒否に関する記事もそうなのですが、自分たちは信者たちに輸血拒否や体罰、大学進学をさせないこと、正社員として働くことを避けることなどは強要していないと言い逃れができる書き方をしています。

    それに対抗するための私なりのスローガンが、上記の言葉だったのかもしれません。

    さらに、「できるだけ死なないようにがんばる」という言葉とセットで自分に言い聞かせていた言葉は、どこかで読んだ「明けない夜はない」でした。こっちの言葉のほうは、元気が出ます。

    今はもう自殺願望からは遠ざかってきていると思いますが、ここのところ、頭の中をこの言葉がぐるぐると回っているので、自戒の意を込めて記事にしました。

  • なぜ私はものみの塔を脱会するのに約10年を要したのか

    なぜ私はものみの塔を脱会するのに約10年を要したのか

    先日発売された『よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話』の単行本を、非常に共感しながら読みました。

    私は現在も心身の調子があまり良くないため、周りの人からは「しばらく宗教について考えないように」と言われていますが、このマンガを読んで頭の中が子ども時代の回想モードに入ってしまったため、記憶と気持ちを整理するためにも、なぜ自分はものみの塔脱会に約10年を要したのかについての記事を書くことにします。
    (またしても落ちるのか、それともすっきりするのか分かりませんが…。どちらに転んでも、エホバの証人2世のリアルな日常をマンガで描いてくださった、いしい さやさんには感謝の気持ちしかありません)

    脱会を難しくした要因その1…洗脳の開始時期が早く、洗脳時間が長かったこと

    私が生まれたとき、残念ながらすでに母はものみの塔に入信していました。

    教団は信者たちに、「家で座るときも,道を歩くときも,寝るときも,起きるときも」ものみの塔の教理を子どもたちに教え込まなければいけないと指示していたため、母は、毎日のように子どもたちに教理を刷り込んでいました。(エホバの証人たちはものみの塔のことを「教団」とは呼びませんが、当サイトでは一般的に使用されている「教団」という言葉を使用します)

    集会や、自宅での「家庭聖書研究」、「家族研究」の時間は当然エホバを称える宗教教育が行われていましたが、それ以外の時間、例えば家事などをしている時間や車で移動する際の車内でも教団が作成したテープを流していました。

    そのような刷り込みが功を奏し、私は間もなくハルマゲドンが来て、エホバの証人以外の人類は抹殺されるという教理を信じてしまっていました。

    脱会を難しくした要因その2…教団の教えに良い教えも含まれていると感じていたため

    ものみの塔の偽善について気が付いたのは何歳の頃か、はっきりとは覚えていませんが、子どもの頃から違和感を持ち始め、教団から離れたいと思い始めました。

    たとえば、エホバは「平和の神」であると謳われていましたが、気に食わないことがあるとすぐに人を殺すエホバは、幼心にも、とても平和の神だとは思えませんでした。

    さらに、教団の教えに従えば幸せな家庭生活を送れる、とされていましたが、実際には母親が信者になってから父親や親せきと不和になり、家を追い出されて極貧生活を強いられ、その子どもも精神科に通っているという家庭や、妻が信者になったがゆえに離婚した家庭、信者になってくれず宗教活動に反対する夫のことを「悪魔サタンに支配されている」と言ってのける妻である信者(周りの信者たちも同意見でした)を目の当たりにしていたため、「どうしてエホバの証人になると、こんなに多くの家庭や人の心が崩壊していくのだろう」と疑問に思っていました。

    一番心を痛めていたのは、集会や大会中にぐずったり声を出したり、親の気に食わない行動を取った子どもたちが鞭打ちを受けていたことです。

    赤ちゃんや子どもたちが痛みと恐怖で泣き叫ぶ声を聞きながら、「こんなわけの分からない退屈な話が延々とされる中、こんなに小さな子どもたちがじっと座って話を聞くなど当然無理なのに、どうしてあんなにひどい仕打ちができるのだろうか。これこそが悪魔の仕業ではないか。どんなに立派なことを言っていたとしても、こんなに子どもたちを苦しめる宗教は、正しい宗教ではないのではないか」と感じていました。

    さらに「嘘をついてはならない」と指示されていたのに、布教活動中に、家の人に「うちは宗教は結構です」と断られた場合には、「宗教の勧誘ではありません」と答えるように指導されていたので、「どう考えても宗教の勧誘なのに、どうして嘘をつくように指導するのだろう?」と疑問に感じていました。(この指導内容は、私が育った地域限定のローカルルールなのかどうかは分かりません)

    それでも、教団の教えにも「愛を示しましょう」のような良い内容のものもあったため、私はずっと悩んでいました。
    そういった類の話は、他の宗教でもなされているということは後に知ることになるのですが…。

    教団はやたらと「愛」について強調していた記憶がありますが、結局のところ、その「愛」は条件付きの、非常に限定的な愛でした。私は幼い頃から、自分の良心の痛みに耐えながら、複雑な心境で信者生活を送っていました。教義の矛盾にも気が付いていましたが、良心の痛みを柔らげるために、できるだけ教義については考えないようにして生きていました。

    教団に対して不信感を抱き、脱会を願いながらも約10年も組織から離れることができなかったのは、長い間ものみの塔の実態を調べることをしなかったことも一因でした。私が初めてものみの塔組織について調べたのは、脱会してから13年が経過した、2013年のことでした。もしもっと早く調べていたら、確固たる信念を持ってもっと早く脱会することができ、心の傷も現状よりはましだったのだろうと思うと、自分のあまりの行動の遅さが悔やまれます。

    脱会を難しくさせた要因その3…母を悲しませたくなかったから

    私が脱会するのに時間がかかった一番の理由は、自分の人生すべてをかけてものみの塔を信仰している母を悲しませたくなかったからだと思います。私がものみの塔を脱会する=私はハルマゲドンで滅ぼされ、母や他の信者たちと一緒に楽園で永遠に生きることはできなくなる、ということになるので、私が脱会を希望していることを知った母の苦悩はいかばかりであろう、もしかしたら倒れてしまうかもしれない、という不安があり、なかなか脱会の意思を伝えることはできませんでした。

    もし常に鬼のような母だったら、簡単に見捨てることもできたのかもしれませんが、私の母の本来の姿は、心優しい女性です。
    貧しい生活の中、病弱な母が、自分のことよりも子どものほうを優先してくれたり守ろうとしてくれたりする姿を見ていると、「私がしっかりしなければいけない、母を安心させるためにも、信者生活を続けなければいけない」と感じていました。

    私は自分の心の声を無視し、自分の良心に反して信者生活を送っていました。

    脱会を難しくさせた要因その4…相談できる人はいなく、逃げ場もなかったから

    私が子どもの頃、母親が熱心なエホバの証人だった場合、子どもが自力で脱会するのは現実的に不可能でした。

    今はインターネットも普及していて、子どもたちもネットで調べ物をしたりするのもできるようになりましたが、私が子どもだった頃は自分の携帯電話やスマホなどはもちろんなく、パソコンの使い方も知らなかったため、ものみの塔について調べたり、助けを求めるのは非常に難しかったです。

    もし父親が子どもの意見を聞いてくれる人だったら、きっと父親に相談して脱会の手助けをしてもらえていたのかもしれませんが、私の場合は父は「迫害者」だったため、とても相談などできる関係ではありませんでした。

    私は子どもの頃から自律神経失調症の症状で苦しんでいましたが、当時はそれがものみの塔が原因であるとは自分でも気が付いていませんでした。
    ただ、よく眠れない、という症状については、ある新聞の読者のコーナーに投書したことがあり、その投書を見たある女性が私を心配して、新聞社を経て私宛てに温かいお手紙を送ってくださり、やはり『世の人』にも、こんなに素晴らしい方がいらっしゃるんだなあ、自分が「信者以外はサタンに支配されている」とする教理に違和感を感じている感覚は間違っていなかった、と思った記憶があります。

    それでも、生まれた時から教団から「エホバの証人以外の人たちは悪魔サタンに支配されている」と刷り込まれていたので、脱会したいという気持ちを誰にも相談することができず、実の兄弟にさえも「もしかしたら密告されるかもしれない」という恐怖心から本音を言うことはできず(以前の記事でも書きましたが、一度だけ妹に本音を言ったところ、信仰心が足りないと言われてしまったため、本音は言わないことにしました)、一人で悩む日々を送っていました。

    複雑な心境のまま、それでもやはり自分の良心に反するものみの塔の活動をすることが耐えられなくなり、母には脱会の意思をはっきりとは伝えずに、徐々に布教活動に参加しないようにしていき、集会の出席も減らしていき、2000年に教団との関りを完全に絶つことができました。

    信仰や考え方、生き方を強要されて私のように苦しむ子どもたちがこれ以上増えないことを願っています。

  • 初めて心療内科を受診しました

    初めて心療内科を受診しました

    アルバイトの仕事でいつも真っ白に

    私は今年、あるラーメン屋さんでアルバイトをしていたのですが(その時の記事はこちらです)、結局そのラーメン屋さんも短期間しか働けませんでした。

    学生時代や20代前半の頃は様々なアルバイトを、とろいなりにもなんとか業務をやっていて数年間働けていたのですが、今回は短期間のうちに働けなくなってしまいしました。何か大きなミスをしたりいじめられたわけではありませんが、精神的に追い詰められるようになってしまったからです。

    それは、「自分はどんなに頑張っても、周りの人たちのようにうまく働くことはできない」と気が付いたから、そしてオーナーのA氏が大変な苦労をしながら成長させてきたこのお店を、私のせいで評判を落としてしまったら取り返しのつかないことになってしまう、という不安が募ったからです。
    ストレスのせいでまるで風邪を引いた時のように声がしゃがれてしまい、一日当たり5時間働いただけで心身が疲弊して、帰宅してからそのまま着替えることもできずに翌日まで部屋の中で倒れていました。そのため本業の仕事ができなくなってしまいました。

    私は飲み込みや物覚えが悪く、周りの人たちがすぐに記憶できる内容もなかなか覚えられないので、メニューや店内の写真を撮らせてもらい、自宅で数時間かけてメニューとテーブル番号とマニュアルをノートと単語帳にまとめて暗記をしてからアルバイトに臨んでいたのですが、それでも実際に働く場面になるとしばしば頭の中が真っ白になってしまい、せっかく時間をかけて覚えてきたことも抜け落ちていました。

    心療内科受診を勧められて

    そんなこともあり、仲の良い友人に「発達障害だと思う。病院を受診したほうが良いと思う」とアドバイスされ、人生で初めて心療内科を受診しました。

    自分でも以前から、自分のこの何事もうまくいかない現象について、何となくおかしいなあと気が付いていましたが、「まあ、誰にでも苦手なことはあるし、それにうまく仕事ができなかったりミスが多いのは相貌失認のせいとか、疲れのせいかもしれないし…」と思って受診したことはありませんでした。
    しかし、今年は症状が今までで一番ひどく出ていたため、「障がいがあるのかないのか、はっきりさせて、前に進みたい」という思いが強くなり、友人の前述の一言が後押しとなり、受診することを決意しました。

    受診する前に、長年私を見守ってくれている方にも相談したところ、「最初に会った時から発達障害関係なんだろうなと気が付いていたよ。ショックが大きいと思って言わずにいたけど。」と言われ、「ああ、もうこれはほぼ間違いないなあ…」と思いながら都内の病院に予約してから行きました。

    受診

    診察は女医さんが担当してくださったのですが、診断の結果、やはり私には発達障害の要素があり、それに加えて幼少期の虐待のトラウマによって症状が強く出ていることが分かりました。

    予想通りの結果だったとはいえ、「私には相貌失認以外にも障がいがあるのかあ…」としばらくは非常に落ち込んで、眠れない、涙が止まらない、呼吸を無意識のうちに止めてしまう、横になっていると、地中に落ちていく感覚に襲われる、普段できていたことができなくなってしまう、という状況になりました。

    病院に行く際に、その仲のよい友人が「病院に付き添おうか?」と言ってくれましたが、非常に忙しいスケジュールをこなしている友達に悪いと思って「一人で行けるから大丈夫。」とその申し出を断ってしまいましたが、後から考えればやっぱり付き添ってもらえば良かったなあと思いました。

    というのも、一応メモを取りながら先生の話を聞いていたのですが、話を集中して聞くことが難しい私は「もしかしたら何か重要なことを聞き逃したかも」と帰宅してから不安になったからです。そして自分のメモの字がとても汚くて、読めない文字もあったからです…(>_<)

    また、このホームページの中で「もし心療内科や精神科を受診される場合には、勇気を出してご自分がエホバの証人であったことを、お医者様におっしゃってください」と書いていたのに(こちらのページです)、自分は宗教名を言えなかったのです。しばらく経ってから、実際に受診をされる方の気持ちにまだまだ理解が足りなかったと自己嫌悪に陥りました。

    あえて言わなかったのか、それとも言えなかったのか自分でも分かりません。でももし今後また受診することがあれば、その時には言おうと思います。

    なぜものみの塔脱会後17年経過してからひどく落ち込んだのか

    ものみの塔を脱会してから17年も経っているのに、今年どうしてここまで落ち込んだのか、考えてみました。

    子ども時代を思い出す作業をして、過去の記憶がよみがえってきたため…過去記事「ずっと死のうと思ってた」と「なぜ私の母はものみの塔に入信し、その結果私のような子どもができあがってしまったのか」(下記参照)の記事を書くにあたり、ものみの塔関連の本などを読んだり、一生懸命過去を思い出そうとしたり、妹に事実確認をしたりしていくうちに、封印していた過去の記憶がよみがえってきて、苦しみ始めました。記事を書いてからしばらくは「すっきりした!」と思っていましたが、あとからじわじわときました。


    ものみの塔によって精神を病む人たちが多いことを知るようになり、「なぜもっと早く行動をしなかったのか」と自分を責め始めたため…私は子どもの頃、虐待を受ける子どもたちを目の当たりにしていても、通報をしませんでした。
    「警察の電話番号が110であることは知っていたはずなのに、なぜ通報しなかったのか」と当時の自分を責め、また「エホバの証人の子どもたちを助けたい」とぼんやりと思い始めてから実際にホームページを作成するという行動に移すまでに20数年を費やしてしまったことに、「あまりにも行動が遅すぎる」と、今の自分を責めるようになっていました。

    私が立ち直ったきっかけとこれからの夢

    ものみの塔によってボロボロにされた心の傷はどこまでも深いものだと改めて感じ、相変わらずの自己肯定感の低さが浮き彫りとなった2017年でしたが、記憶力の悪さは抜群(?)なので、数年後には「まあ、そんなこともあったかなあ」となっているかもしれません(^^;
    ただし学習能力のなさも抜群なので、また落ちているかもしれませんが…。

    今は、ほぼ普段通りの生活ができる位までには回復していますが、今回も私の心の回復に役立ったのはやはり本でした。子どもの頃から、自分の心を奮い立たせる言葉に出合った時、また心を動かす本と出合った時にはノートやメモ帳などに内容を書き記してきたのですが、そのようにしてきて本当に良かったと思いました。
    その時々の状況で心に響く言葉は違いますが、長い年月書き記してきた数々の文章や手元にある本たちは、やはり大きな力となりました。

    また、一旦は非常に落ち込みましたが、これまで人生の仕組みなどについて勉強してきたことや、発達障害について調べていた友人たちのアドバイスが心の回復にとても役立ちました。

    私はすべてのことに意味がある、と信じているので、自分に障がいがあるということは、症状や程度は千差万別とはいえども障がいを持つ他の方々の気持ちも多少なりとも理解できる、それはこれからの人生においてプラスとなると考えています。

    数年前から準備を始め、昨年開業した新たな仕事も結局軌道に乗らず、辞めることにしましたが、この仕事は自分には合わないと分かっただけで勉強になった、この仕事を通じて仕事の先輩方や同期の仲間とのご縁をいただけただけでも良かった、失敗をした分、一歩成功に近づいた、と考えるようにしました。

    そして最近、また新たな夢を持ち始めました。
    今も相変わらず綱渡りの生活をしている状況なので、新たな夢の実現までにはこれからさらに何年かかるか分かりませんが、私の大好きなフレーズの一つである、「If you can dream it, you can do it.」の言葉を胸にコツコツと努力していこうと思います。

    発達障害を理解し生きていくための対処法を学んだサイト

    発達障害についていろんなサイトや本を読みましたが、私にとってはこのサイトのマンガが分かりやすく、ユーモアもあって良かったです。
    また、発達障害を抱えて生きていく上で、生きやすくなるための対処法もこのサイトから学びました。
    作者である精神科医は最近トラブルの報道があったようですが、サイトや本の内容からは私は得るものがあったと思っています。

    単行本も出ています。ただし、どちらも比較的下ネタが多いので、苦手な方はご注意くださいませ。

  • 『よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話』の単行本が来月発売されます

    『よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話』の単行本が来月発売されます

    「ヤングマガジンサード」で連載されていた『よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話』の単行本が今年12月20日に発売されます。現在、予約が可能なようです。

    いしいさやさん(@ishii_saya)のツイッターはこちらです。

  • 『エホバの証人二世の論考集 エビのしっぽ』が発売されます

    『エホバの証人二世の論考集 エビのしっぽ』が発売されます

    『エホバの証人の子どもたち』のご著者、秋本弘毅氏が書かれた電子書籍『エホバの証人二世の論考集 エビのしっぽ』が今月25日に発売されるそうです。

    アマゾンにて先行予約受付中です。Kindle Unlimitedの会員の方は無料で読めます。

  • 『情けは人の為ならず』アルバイトを通して感じたこと

    『情けは人の為ならず』アルバイトを通して感じたこと

    私はここのところ、レストランとラーメン屋さんでアルバイトをしていました。今回の勤務を通して感じたこと、反省したこと、考えたことを記事にします。

    自分のハンディキャップを隠さずオープンにしないと益々苦しくなる

    今年に入ってから、あるレストランにアルバイトの応募をしました。

    私はこれまでファミレスやうどん屋さん、テーマパーク、スーパーなど様々なアルバイトをしたことがあり、とろいなりにも何とか業務をやってきたので、今回も大丈夫だろうと思い、自分が相貌失認であることを伝えずにオーナーさんとの面接を受けてしまいました。
    そして雇ってもらえることになったので、そのまま研修へと進むことに…。

    ところがそのお店は、これまで勤務したことのある飲食店よりもずっとお客さんとの距離が近く、常連さんの顔を覚えて「○○様」とお名前をお呼びしながら接客することが求められるお店だったのです。

    初日はオーナーさんが私に付きっ切りで仕事を教えてくださったのですが、予想以上にお客さんとのコミュニケーションを取るスタイルのお店であること、そしてそのようなコミュニケーションによってこれまでオーナーさんが数多くの方々との人脈を築いてきたことを知りました。

    初日の研修を終えて「私がこれからこのお店で働けば働くほど、これまでオーナーさんが築き上げてきたものを壊してしまうことになる」と感じ、辞めることにしました。

    面接の時点で、相貌失認であることをお伝えしていれば、オーナーさんの貴重な時間と労力を使わせずに済んでいただろうと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになり、「今後アルバイトや仕事の面接を受けるときには、きちんと伝えよう」と反省しました。

    また、そのようなハンディキャップを隠して無理に取り繕おうとすると、無理が無理を呼び非常に苦しい状況になってしまうのを体験しました。自分の状況をオープンにして周りに理解していただいた方が気持ちが楽になり、よりいい仕事ができるようになると思いました。

    相手の立場に立って考え行動する

    次に、ラーメン店でのアルバイトの面接を受けたのですが、その時にもそのお店のオーナーさんが面接をしてくださいました。そのオーナーさんをA氏とさせていただきますが、A氏の口から出た言葉が私にとっては衝撃的でした。

    大抵、アルバイトの面接というと「週にどれくらい働けるの?」と聞かれるのが一般的かと思いますが、A氏は「どのくらいお金が必要なの?」とこちらの働く理由を主眼において、必要な金額に合わせてシフトを調整するように気を配ってくださったのです。
    さらに私に本業があることを知って「お店の状況次第では、もし急遽本業のほうの仕事が入ったら、退店して本業の仕事に向かっていいから」とまでおっしゃってくださったのです。

    普通だったら、お店経営の立場から従業員のシフトをどのように組むか、ということを優先して考えるところ、このように働く人の立場に立って従業員の業務を考えているところが非常に驚きでした。

    また、前のレストランでのアルバイトの教訓から、私が相貌失認であることを伝えたところ、「気にしなくて大丈夫だよ」とおっしゃってくださったので、気が楽になりました。

    A氏は非常に大変な子ども時代を過ごされた方なのですが(エホバの証人とは無関係の方です)、たくさんのお辛い思いをしてこられたせいか、周りの方々の気持ちを察して気を配り、立場のある方であるにも関わらず周りの方々に感謝をし続ける、器の大きな方でした。

    正社員、アルバイト問わず、従業員一人一人を大切にしていらっしゃり、従業員の方々から慕われていました。
    そして従業員の方々もA氏の想いに応えるべく、少しでもお客さんに喜んでもらおうと、A氏がお店にいない時にも清掃や調理、接客を心を込めて行っていました。

    たとえば、そのラーメン店のラーメンは特に麺が伸びやすいため、提供時にお客さんが席を外していて、少し時間が経ってから戻られたお客さんには、もう一度ラーメンを作り直したりもしていました。
    また店内は、お客さんがゆったりと過ごせるような工夫がされていました。
    そしてA氏の経営するお店で十数年前にアルバイトをされていた方から今でも連絡が来て、再会されたりもしていたので、これまで長い年月誠意を持って人と接してこられた方なんだということも分かりました。

    A氏のラーメン屋さんは、ラーメンがとても美味しいことで有名で、今もどんどん発展を続けているのですが、そのようにとても人気があるのは、A氏が日夜美味しいラーメンの新メニュー開発に挑んでいる上に、A氏の温かいお人柄で、老若男女問わず会う人会う人をファンにしていっているからこそだと思います。

    情けは人の為ならず

    現在、日本中が人手不足で従業員を雇用できずに事業を縮小・撤退する企業が後を絶ちません。特に飲食店でアルバイトが集まらない問題は深刻化しています。牛丼チェーンなどではアルバイトが集まらず、営業時間を短縮したり閉店した店舗も多いそうです。

    そんな中、従業員がモチベーションを持って働くことができ、お店と従業員が良い関係を築くことができていることが、A氏のラーメン屋さんが発展し続けている理由なのかなと想像しています。

    働く人・お客様の立場に立って考え、行動することが、結果的にご自身の店舗経営の発展に大きく寄与している状況を見たとき、私は『情けは人の為ならず』ということわざを思い起こしました。

    人との出会いに感謝

    私はいまだにアルバイトとの兼業生活を続けていて(参考過去記事:「どうせ無理」を「だったらこうしてみたら」に変えよう!!)、いいかげん、そろそろ本業のみで食べていければとは思っていますが、もしすぐに本業が軌道に乗ってしまっていたとしたらA氏との出会いはなかったので、これも意味のあることなのかなと思っています。

    精神論を説いているわけでもない、飲食店の一人のオーナーさんが苦労を重ねながらも愚痴も文句も泣き言も言わずに、愛と感謝に満ちた日々を送られているお姿を見て、自分はまだまだだなあと感じました。

  • 「よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話」がヤングマガジンサードで新連載開始

    「よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話」がヤングマガジンサードで新連載開始

    すでに話題になっているので、ご存知の方が多いと思いますが、「ヤングマガジンサード Vol.7」(2017年6月6日発売)で元・二世信者いしいさやさんによる自伝漫画「よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話」が一挙2話で新連載が開始されました。


    ヤングマガジン サード 2017年 6/20 号 [雑誌]: ヤングマガジン 増刊

    私も読みましたが、自分が体験してきたことがそのまま再現されているような漫画で、エホバの証人として育てられた暗黒の子ども時代が思い出され、胸が締め付けられる思いでした。

    ものみの塔とは無関係の友人もこの漫画を読み、「漫画なら、より広く一般の人に興味を持ってくれるね。それにタイトルが宗教勧誘の訪問を受けた一般の人の目線になってるのがいいね。」と語ってくれました。

    以下のいしいさやさん(@ishii_saya)のツイッターによると、「二世信者としての幼少期の生活から、大人になって脱会するまでを包み隠さず描く予定」とのことです。

  • 体罰 – 絶対にすべきではない理由

    体罰 – 絶対にすべきではない理由

    ものみの塔は信者であるエホバの証人に対して、長年に渡り体罰を指示していました。しかし近年、体罰に関する研究が進み、その悪影響について明らかになってきています。

    体罰をすべきでない理由その1…体罰は子どもの「生きる力」を奪う

    体力が圧倒的に弱い子どもにとって、大人からの体罰は脅威となり、恐怖を植え付け親に対する信頼感を失わせます。

    体罰を受けることを恐れて反射的に言動を選択するようになるため、子どもが自分で最善の方法をじっくり考えて選ぶことができなくなり、子どもが本来持っている「生きる力」を発揮できなくなってしまうのです。
    体罰を受けると「自己評価が低下する」、「うつになりやすい」、「学校の成績が悪くなる」といったことも指摘されています。

    最近、子どもの頃に3年以上に渡って年12回以上の頻度で、物で殴られるような強い体罰を受けた人と、体罰を受けていない人の脳画像を青年期になって比較するという研究が行なわれました。その結果、体罰を受けた人の脳画像は右内側前頭前野や左背外側前頭前野と呼ばれる部位などの灰白質が小さく、左背外側前頭前野が小さいほど知能検査の動作性IQが低かったそうです。(白尾直子著『児童精神科医ママの子どもの心を育てるコツBOOK』より)

    私のどうしようもないほどのトロさ、不器用さ、納得です…。
    白尾先生は同著で「前頭前野は認知機能や社会性と関連が深いので、幼少期に体罰を受けることで前頭前野の発達に遅れや乱れが生じ、こうした変化が子どもの状況判断や社会性の弱さにつながり、さらに体罰が生じやすくなるという悪循環ができてしまっているかもしれません」と述べています。

    また、2002年、体罰を受けた3万6千人を対象にしたアメリカの調査では、体罰が、一時的には親の命令に従う「効用」がある一方で、長期的には①攻撃性が強くなる②反社会的行動に走る③精神疾患を発症する、などのマイナス面が見られることが判明したそうです。(参考:子どもすこやかサポートネット体罰の研究

  • エホバの証人の子どもたちが学校で直面する恐怖「いじめ」(第3回)

    エホバの証人の子どもたちが学校で直面する恐怖「いじめ」(第3回)

    いじめを受けているエホバの証人の子どもたちへ

    子どもの権利

    いじめのことで親や長老に相談しても、「エホバを待ちなさい」とか「もっと聖書を読みなさい」「もっと祈りなさい」といった、まるでこちらの努力が足りないかのような返事しか返って来ないかもしれません。
    ひどい場合には「あなたにも悪いところがあるんじゃないの?」などと、さらに子どもを傷つける言葉を言う人もいます。

    でも、すべての子どもには言葉や暴力、無視などによって傷つけられることから守られる権利があります。また、「思想・信条・表現の自由」という権利もあります。

    「ものみの塔の言うことだけが正しいのです。『この世』の人の意見など、聞いてはいけません」と教えられているとしても、もし自分で「何か変だな」「この考えはおかしいな」と感じたら、自分で調べる権利があるのです。自分で考えて行動することは本来は許されているのです。

    子どもの権利については、子どもの権利条約で国際的に定められています。その中で子どもの権利とは以下の図にあるように大きく「生きる権利」「育つ権利」「守られる権利」「参加する権利」の4つあります。(図:unicefより)

    このように、子どもには自由に「考える」「信じる」「意見を言う」「活動する」権利があるのです。ユニセフの子どもの権利条約のサイトにわかりやすい解説がありますので、読んでみて下さい。
    また、図書館や本屋さんに「子どもの権利条約ハンドブック」という本がありますので、良かったら読んでみて下さい。

    祈っても聖書を読んでも解決しなかったら

    もし祈っても聖書を読んでも解決しなかったら、一般社会に助けを求めましょう。

    無理をして集会や奉仕に行く必要はありません。「集会や奉仕に行かないとハルマゲドンで滅ぼされる」と教え込まれていても「本当にそうなのかな?そうやって人を脅かす宗教って正しいのかな?愛のある神は、そんなに心の狭いことを言うのかな?」と考えてみてください。

    「新しい光が出た」と言ってコロコロと教義を変更したり、これまで冷酷な教義やシステムによって多くのエホバの証人を精神疾患に追いやってきたものみの塔に対して疑問を抱くのは、まったく自然なことです。
    ものみの塔は信者であるエホバの証人に対して「識別力を働かせなさい」と指示しています。しかしその指示通りに実際に識別力を働かせてしまったエホバの証人を「背教者」であるとし忌避しているものみの塔。

    この矛盾に気が付いて勇気をふりしぼって組織を離れた方々も多くいます。エホバの証人の親から離れて、心身症が良くなった先輩もいます。(参考:ぼくは親に殺されていたかも知れないー22歳で家出同然で上京した巨椋修(おぐらおさむ)氏
    組織を離れた後、それぞれがご自身の良心に従った生き方をするようになり、ストレスが減り、体調が良くなり、充実した毎日を送れるようになった方々が多くいます。
    [参考]

  • エホバの証人の子どもたちが学校で直面する恐怖「いじめ」(第2回)

    エホバの証人の子どもたちが学校で直面する恐怖「いじめ」(第2回)

    大好きな先生の誕生会開催に反対せねばならなかった

    私の場合は、幸い理解のある先生方ばかりで、先生に「証言」する際には大きな困難はなかったのですが、やはり宗教ゆえに行事に参加することができないのはとてもつらいことでした。行事があるたびに憂鬱でした。

    先生がその場にいれば、先生に「証言」をして許可をもらい、学友たちと目を合わせないよう時計や地面を眺めながら時間が過ぎるのを待つだけで良かったので耐えられるレベルでしたが、その場に先生がいないとなると話は別です。

    サプライズお誕生日会への反対

    小学校3年生の時の、ある日の午後の出来事をよく覚えています。
    「学級会」の時間に、あるクラスメートが担任のA先生にお願いをしてA先生に教室を出ていっていただきました。
    そして教室内にいるのは子どもたちだけになったところで「サプライズで来週A先生のお誕生日会をしよう!」という議題が出され、A先生のお誕生日会を開催するかしないか、挙手で多数決が取られることになりました。

    A先生はとても素敵な先生で私も大好きだったため、私も「A先生にぜひ楽しい時間を過ごしていただきたい」と思い、自分が参加できないことは分かっていてもお誕生日会開催に「賛成」のほうに挙手したいと思いました。しかし、そうしてしまうと私が「賛成」に挙手をした、という情報が母の耳に入りムチ打ちを受けるかもしれないし、エホバに滅ぼされるかもしれない、という恐怖で「反対」に挙手せざるを得ませんでした。(その時の私には「挙手しない」という選択肢を思いつくことができませんでした)
    多数決の結果は、私を除く女子全員が賛成、そして私と男子全員が反対で、人数が同数となりました。
    その時の教室内の全女子の私に対する突き刺さるような目線…普段は仲の良い関係であるだけに、本当に恐ろしかったのです。

    多数決の結果が同数だったため、男子と女子の各代表者によるじゃんけんで決めることになりました。
    このじゃんけんの最中には、私は心の中で「どうか、女子が勝ちますように…」と必死で祈っていました。(誰に祈っていたのかは分かりませんが)
    このわずか数十分の学級会がどれほど長く感じ、恐ろしかったのか…文字通り、恐怖で眼の前が真っ暗となり何も見えなくなるのです。身体が崖から突き落とされたかのように、下に落ちていく感覚が襲い、普通に座っていることさえ困難でした。
    結局、じゃんけんで女子が勝ち無事に開催が決定。私は安堵しましたが心臓はまだバクバクとしていました。

    学級会が終わると、リーダー格の体格の良い女子を含む女子数名がツカツカと私に近づいてきて、「さっき、あんたなんで「反対」に手を挙げたのよ!あんたのせいで誕生日会、できなくなるところだったじゃん!!」と。幸いいじめには発展せず、ただ詰問されただけでしたが、本当に恐ろしかったです。

    お誕生日会に反対せざるを得なかったことからの苦悩

    それから私の苦悩が始まりました。「A先生に、私が『反対』に挙手したことが知られたらどうしよう…。いや、誕生日会に出席できないのだから、必ず知られるし、私だけお祝いすることができず、先生に悲しい思いをさせる」と…。
    その後しばらくは、悪夢でうなされたり夜中に泣きながら目を覚ましたりしていました。とはいっても、普段はハルマゲドンの悪夢をよく見ていたので、その時期は「リーダー格の女子たちによる脅迫」と「A先生に悲しい思いをさせて申し訳ない。この場から逃げ出したい」という内容の悪夢に変わっただけですが…。

    幼稚園時代から続く多くの行事を拒否した辛い記憶

    このように、あらゆる行事を拒否しなければならない体験を私は幼稚園児の頃からさせられており、5歳の時に多くの行事を拒否しなければいけなかった辛い記憶が、当時の教室の様子も含めていまだに残っています。仲の良い友だちはいましたが、多くの行事に参加することができないために神経をすり減らしており、灰色の幼稚園生活でした。

    加えて生まれたときから、ものみの塔の冷酷な教義を毎日刷り込まれ、幼少期から繰り返し叱責と体罰を受け、宗教上の亀裂ゆえに両親がたびたび喧嘩をしていました。あまりにも頻繁に激しい喧嘩が起こっていたので、近所の人がうちの玄関の前で聞き耳を立てていたくらいです。

    そのためストレスは身体の不調(頭痛、腹痛、めまい、立ちくらみ、吐き気、不眠)となって現れており、それは私の記憶のある一番始めの部分、幼稚園時代から始まっていました。ですので、自分の記憶の限り、子ども時代に健康だったことはありません。
    私の家族の話によると、乳児の頃から体調が悪かったそうです。母は私が胎内にいる時から部屋で組織のカセットテープを流すなどの「胎教」をしていたため、その影響もあるのかもしれません。

    エホバの証人の子どもたちに対するいじめ

    いじめを受けなかった私でも、上記のようなつらい体験をしましたが、いじめを受けた子どもたちは筆舌に尽くしがたいほどの苦悩を味わってきました。

    エホバの証人の子どもたちは、多くの行事に参加することができず、加えて放課後は「神の業(宗教活動)を第一に!!」「悪魔サタンの支配下にあるこの世の子との交流は極力避けるように」とのことで一般の子どもたちとは最小限の接触しか許されない場合が多いため、いじめられる子どもたちが多数発生してきたのです。

    「あいつは付き合いが悪い」「宗教に入っているんだ」と陰口を叩かれ、クラスメートたちからの冷たい視線を浴び、いじめへと発展していきました。
    ものみの塔の教義では争いを非としているため、信者の子どもは、いじめている子たちに対抗することも許されません。
    「エホバは争いごとを好みません。我慢しなさい」と親に叱られるのです。ものみの塔の教義ゆえに苦難を味わってきた子どもたちは数多くいます。

    カルトの子』に、信者の子どもが受けたいじめの体験談が掲載されていますので、一部ご紹介いたします。

    もう鬱状態でしたよ。中学校時代は早く学校生活が終わらないかと思っていたほどでした、今でもはっきりと覚えていることがあります。中学2年のとき脳腫瘍を患っている子がいて、ぼくはその子と特別仲良くしていた。その子のお母さんにも感謝されたぐらい。ところが、その子が亡くなった。お母さんからぜひ葬儀に来てくれと言われた。でも、エホバの証人だから行くことができない。それで、クラスの仲間から、なんで葬儀に来なかったんだ、仲が良かったくせに冷たい奴だと、殴られた。悔しかったですね」(43歳、男性)
    『カルトの子』米本和広著より

    (いじめを受けて)傷ついた恵美には休息が必要だった。しかし、伝道訪問を休むことは許されなかった。苦しかったという。学校からの帰りが遅いと、母親は烈火のごとく怒った。小学校の高学年ともなると放課後にクラスの委員会がある。それを伝道訪問のため中座しなければならない。クラスメートはずるいと怒った。
    委員会か伝道訪問か。どちらを選択しても賞賛はなく、ただ怒りが待っているだけ。典型的なダブルバインド(二重拘束)である。これほど辛いことはない。恵美は、より怖い母親の命令に従った。熱が38度あっても「1時間でもいいから参加しなさい。そうすれば治るから」とせっついたほど、母親にとって伝道訪問と集会は絶対だった。
    恵美は家にも居たくない、学校にも行きたくないと思った。
    小学校4年生になって不登校になった。一日中鬱状態が続き、どうしようもない倦怠感に襲われた。ところが、母親はほとんど関心を示さない。
    「学校を休んでいるのに、伝道に行こうって誘うんですよ。私の不登校になんか関心がなく、この世を救うことのみといった風でした」と恵美は寂しげに笑った。
    『カルトの子』米本和広著より

    次回に続きます。→ 第3回

  • エホバの証人の子どもたちが学校で直面する恐怖「いじめ」(第1回)

    エホバの証人の子どもたちが学校で直面する恐怖「いじめ」(第1回)

    ありとあらゆる学校行事に参加することができません

    エホバの証人の子どもたちは、誕生会、クリスマス、七夕、ひなまつり、節分、正月、母の日、子どもの日、祭り、焼香、国家・校歌斉唱、クラス委員を決める、などを含む種々の選挙、格闘技など様々なことを禁止されているため、ありとあらゆる学校行事に参加することができません。

    単に参加できないだけではなく、「私はエホバの証人です。だから七夕集会には参加しません」とみんなの前で「証言」をしなければなりません。「証言」の強制度合いは、地域・各家庭で差があります。また近年、その強制率は下がってきています。

    本人が望もうと望まざると、「エホバの証人の子ども」として生まれてしまっただけで、強制的にそのような状態に置かれるのです。
    (二世の体験談の例:「母がJWになってから始まった虐待」 「子ども時代の黒い記憶」

    その他の数多くの規制

    さらに、ものみの塔が明確に禁止しているもの以外にも、数多くの規制が子どもたちに課せられてました。「聖書によって訓練された良心によって」各自が決める事柄とされているものです。

    「良心に従っている」と思い込んだ信者である親から、テレビを処分された子どもや、とても大切にしていた趣味の物(教義では禁止されていない物も含む)を破壊され捨てられた子ども、ものみの塔の音楽以外の全ての音楽を禁止されてきた子どもたちもいます。

    なぜ信者である親がそのような行動に出るのかというと、ものみの塔が様々な出版物や講演などで「〇〇は忌まわしい」「〇〇は嫌悪すべき」と明言していること以外にも、「〇〇兄弟は自分の良心に従って、〇〇という決断を下しました」「〇〇姉妹は良心に従ってこのような決断を下し、今では大きな報いを受けています」「〇〇には用心するのが賢明です」と、数え切れないほどの避けたほうが賢明だという例を挙げ続け、信者たちに「これも避けたほうが良いのだ」と刷り込んでいるためです。
    ちなみに教団の公式サイトで「忌まわしい」のキーワードで検索したところ、検索結果は339件と表示されました。
    エホバは気に食わない者を「徹底的に滅ぼされる」神でしたので、信者の中にもエホバに見習って、信者としてふさわしくないと思えるものを「徹底的に」排除しようと行動してしまった人たちがいたのです。

    実際には「良心に従って決定」したのではなく、ものみの塔の思惑通りに動かされていただけだったと、脱会してから気付く信者さんも多いのですが、信者である間は、できるだけ厳しく規制しておいたほうが、仲間の信者から「霊性が高い」(信仰心があつい、という意で使われる用語です)として賞賛されるため、多くの親たちが子どもたちの心に深い傷を残す行動を取ることとなってしまいました。

    多くのJW二世の子どもたちに悲劇をもたらした『学校とエホバの証人』

    ものみの塔は1985年に『学校とエホバの証人』という冊子を発行しました。

    そこには、二世たちが拒否しなければいけないものが明確に列挙されていました。
    この冊子は「〇〇は禁止です」という書き方はせず、「子どもたちは、〇〇はできませんので、ご協力をお願いします」といった学校に対しての説明という形が取られていますが、JWの親子に対して明確な禁止事項を付与するもので、子どもたちから多くの自由が奪われました。

    組織が「自分たちは指示をしていない。各信者たちが自分で決めた事です」(上記のように、信者たちは「自分の良心に従って決める」という言い方をします)と言い訳ができるよう、巧妙な手口をとってきたことがこの書き方からもよく分かります。

    この冊子が多くの信者の子どもたちに悲劇をもたらしたことを、エホバの証人二世の方がこちらの記事で書いてくださっています。こちらのページのコメント欄には「子どもたちをJWの規則で縛り付ける律法集だった」という元二世の方の意見がありますが、的確な表現だと感じました。この試練は「中立の問題」や「試み」と呼ばれており、二世の子どもたちに多大な重荷を負わせるものでした。

    『学校とエホバの証人』の全文はこちらです。エホバの証人の「願い」や「教育方針」「子どもに望むこと」がストレートに出ています。

    この中で、「私どもの子供たち」という言い方をしている点からも、組織がJWの子どもを私物化していたことが分かります。
    学校は「不健全」な影響の温床であるとされ、「大抵の証人たちの若者は学校で行なわれる課外活動に参加いたしません」などと、受け取り方によってはさらなる禁止事項が発生するあいまいな表現を用い、学校と極力かかわりを避けたい旨が述べられています。信者の子どもたちは、この書に書かれているような学校生活を送ることになりました。

    それが原因でクラス内で孤立したり、いじめを受けたりする子どもが全国で多数発生しました。さらに、その戒律を破った子どもへのムチ打ちが増えた家庭も多かったようです。
    また、冊子の主張も強引で根拠に乏しい記事が多かったため、教師側の怒りや反発を買ってしまい、学校と親との板挟みで苦しむ二世も少なくありませんでした。

    なお、現在は『学校とエホバの証人』は廃刊となっており、ものみの塔オンライン・ライブラリーの検索資料からも外されて、無かったことになっています。当時の冊子の内容について、組織は肯定も否定もしておらず、多くの子どもたちの心に深い傷を負わせたことについても、いまだに一切の謝罪もありません。

    クラスメートたちの前で「私はエホバの証人なので〇〇はできません」と「証言」をさせられ、みんながわいわいと行事を楽しんでいる時、いつも教室の隅で独りぼっちでそれを眺めていなければいけないつらさ、みじめさ、恥ずかしさは、経験した人にしか分からないかもしれません。

    そもそも「子どもの権利条約※」第14条(思想・良心・宗教の自由)で、子どもにも信教の自由が認められているというのに、ものみの塔や信者である母親が実質的に信者の子どもに信仰を強要していること自体がおかしいと思います。強要されていなければ、信者の子どもたちが学校生活において耐え難い苦痛を味わう必要もありませんでした。
    幼い頃の私は、ただ母親に褒められたい一心でしたので、自分が信仰を強要されている状態に気付くこともできませんでした。

    ※「子どもの権利条約」は、1989年11月20日国連総会で採択された、子どもの権利に関するはじめての法的拘束力を持つ国家条約であり、万国共通の子どもの権利学習の最良のテキストと言われています。日本は1994年4月22日に批准しました。

    最近の傾向

    最近のエホバの証人の親御さんは当時苦労した二世の方が多いため、三世の子どもたちに対しては比較的寛容な方が多いようです。
    応援や騎馬戦、クリスマスや七夕や節分なども学校で自由に参加させている親も多いと聞いています。
    そして一世の信者さんの中にも、クリスマスにケーキを買ってきて食べたり、母の日に孫からカーネーションをもらって喜んだりしている方々もいるようです。

    次回に続きます。→ 第2回