文化庁への報告書
(5)父の遺言
その後、私は大学に進学しました。エホバの証人では世の終わりが近いとしていることから、進学や正社員での就職を奨励していません。私も大学に進学することは考えていなかったのですが、高校2年生の時に大学受験の問題を解いたことがきっかけとなり、10月に大学進学を志すことにしました。人生に対して常に否定的でしたが、大学に行くことで前向きになれるのではと考えました。
母に大学に行きたいことを伝えました。なるべく国立大学か奨学金がもらえる大学に行くので迷惑はかけないようにするが、受験料に相当する15万円を援助してもらいたい、後で返すから、と伝えました。いつか私が教団に戻ることを望んでいると母本人からこの頃も繰り返し言われており、大学進学が必ずしも母の意に沿うものではないとわかっていました。私は母に床に頭をつけて土下座をしました。母は、反対はせず、大学の受験料は払う、そのお金は返さなくていい、と言いました。
父が亡くなる直前に、私が大学に行く気になったときは行かせるようにと父から遺言があったということを、この時母の口から初めて聞きました。うつ症状と闘いながらの状態でしたので、一日の中で勉強に集中できる時間はわずかでしたが、症状が軽い時に必死に勉強しました。
経済的理由から、当初は国立大学でなければ大学に進む気がありませんでしたが、高校3年生の●●年夏頃、母方の祖父が資金を母に援助すると母に言ってくれたようです。第一種および第二種奨学金を借りる目途もつき、私は私立の●●大学に入りたいと思いました。父が大学駅伝を見るのが好きで、いつも応援していた大学です。試験結果としては、私は第一志望の●●大学など受験した3大学全てに合格し、●●大学には学費免除の特待生として合格しました。●●年2月のことでした。
しかし、●●大学の合格発表を見て自宅に帰る電車の中で、私はパニック症状を発症しました。呼吸が苦しくなり、目の前が真っ白になり、電車の中で座り込んでしまいました。
同年4月に●●大学に入学しましたが、うつ症状が強く満員電車に乗れず、大学1年の前期から授業に出られなくなりました。自殺を何度か試みるようにもなり、●●クリニックの医師の勧めで7月~8月まで、●●県●●市にある●●病院の精神病棟に2カ月入院しました。集団セラピーを受けるなどして徐々に回復し、9月には退院しました。10月頃から徐々に大学に復帰しましたが、前期の試験は全く受けられず、後期の試験も半分くらいしか受けられなかったため、大学1年生の時点で4年間での卒業が不可能と決まりました。その後立ち直り、学部5年生までかかりましたが、卒業しました。
7.宗教による人格形成の阻害
以上が、私の大学生の頃までの記憶です。
母が信じる教団の極端な教義によって恐怖心を受け付けられたこと、教義に基づいて幼い頃に身体的虐待を受けたことから、私は身体的苦痛だけでなく、まだ癒えることのない精神的苦痛を受けました。最初強制されたとはいえカルト宗教の活動に参加してしまったこと、自分を愛してくれる存在であるはずの母から暴行を繰り返し加えられたこと、誕生日もクリスマスも祝ってくれなかったことなど、がトラウマになり今でも思い出して眠れないことがあります。また、人格形成期に社会と断絶されていたことで、今でも人とのコミュニケーションが取りづらいと感じます。
社会と断絶させられ、母から宗教活動を強制されたことから、生きることが息苦しく、人生への絶望感から、小学校に入学した頃から20歳頃までは自殺願望があり、毎日死にたいと思っていました。2019年4月にかかりつけの心療内科医に過去の虐待のことを話すまで、母から虐待を受けたことや母がカルト宗教を信じていることを医師には話していませんでした。それでも何とか立ち直り、2006年大学卒業後から一貫して正社員として働いています。[個人情報のため省略]、何とか普通に暮らしています。[個人情報のため省略]
母に対しては、愛情もあり、宗教活動をやめてほしいと願いつつも、無理にやめさせるのではなく、教団以外にも楽しいこともあるし良い人たちもいるということを伝えようと辛抱強く様々な努力をしてきました。しかしそれらは無駄な努力に終わりました。
8.この宗教が子どもへの虐待を奨励し信者たちが虐待行為を行っている問題の認知と解決を
2017年から、母に対して真摯に自分が犯した行為を全て認め、謝罪することを求めてきましたが、連絡を拒否され、電話にも出なくなりました。手紙だけは送ってきましたが、謝罪は限定的なもので、自らの行為を正当化する内容でした。具体的には、叩いたことは認めるものの、愛情から行った行為であって、虐待にはあたらない、と主張しています。
2019年5月に、統一教会などのカルト宗教問題を扱ってこられた山口広先生にたどり着き、先生から、母に謝罪を求める通知書を二度にわたって送っていただくなどしましたが、謝罪は限定的なもので、最終的には、「叩いたが愛情からのもので虐待にはあたらない」「他の親も子供を叩いている」などの主張を繰り返すだけでした。そして、信者として、信者の男性と結婚して信者としての活動をしている姉の手紙を添付して送付してきました。私にとっては、これでは全く誠実な対応をしているとは言えません。
母は、2019年4月14日、私との会話の中で以下の事実を認めており、その会話を私が録音しております。(母と連絡がつかないため、こちらから実家に訪問し話したものです)
- 教団が信者向けの出版物で「懲らしめ」を奨励しており、「懲らしめ」には子供を道具で叩くことも含まれていたこと
- 懲らしめのため私を十数回叩いたこと
- 懲らしめの理由には、宗教活動に非協力的であったことも含まれたこと
- 懲らしめるときは手ではなく道具を使うようにと信者の間で共有されていたこと
- 懲らしめに使う道具(ホース、ベルト、縄跳び等)について、司会者(教団の指導役)からアドバイスを受けていたこと
- 他の信者が教団施設内で子供を叩いて子供が悲鳴をあげるのを聞いたことがあること(複数回)
以上、本宗教団体が子どもへの虐待を奨励し、純粋無垢に教団の教えを守ろうとして信者たちが虐待行為を行っている問題を文化庁宗務課の担当の方々を含め多くの方々に認知していただき、エホバの証人の幹部の方々にもこのような虐待行為を信者の子どもたちにさせないように指導していただくことを願って、ここに私の経験を記すものです。
何卒よろしくお願い申し上げます。
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